電子フロンティア財団の「The Science is Not Settled: How Weak Evidence is Fueling a National Push to Ban Social Media for Youth」という記事を翻訳した。
2026年の州議会シーズンが本格化するなか、憂慮すべき光景がまたも繰り返されている。めまいがするほど脆弱な科学的根拠にもとづいてインターネットの規制にひた走る立法者たち。カリフォルニア州議会からマサチューセッツ、ミネソタの各州議会に至るまで、若者のデジタルライフに攻撃を仕掛ける法案の波が押し寄せている。こうした法案の推進者たちは、ソーシャルメディアへのアクセスを「公衆衛生上のエピデミック」だの「メンタルヘルスの危機」だのと呼んでいるが、そうしたレッテルを正当化しうるだけの確定した科学的知見は、いまだ示されていない。

あらゆるユーザの市民的自由を守るデジタルライツ団体として、EFFの専門性は、若者も大人とほぼ同等の言論の自由、プライバシーの権利を享受していることを議員たちに喚起することにある。EFFは社会科学の研究機関ではないが、最新の研究を読み解くことはできる。そしてそれら研究が示すのは、若者のソーシャルメディア禁止を訴える人々の主張よりもはるかにニュアンスに満ちた現実であり、こうした大規模な禁止措置を正当化する根拠とされる研究や理論が、確定にはほど遠いということである。デジタルプラットフォームへのアクセスを禁じようとする拙速な動きを煽っているのは、「ポップ心理学」的なナラティブと、統計的に欠陥のある研究の寄せ集めにほかならない。それらは、若者の自律性と憲法上の権利をこれほど大規模に侵害するに足る厳密な基準を満たしていない。
「確定した」合意という嘘
現在の立法の動きは、思春期の脳の「大規模な再配線」が証明された事実であるという、メディア受けする一握りのナラティブに大きく依存している。この理論は、スマートフォンとソーシャルメディアが10代の不安、うつ、摂食障害、自傷行為などの世界的な増加の主要な、あるいは唯一の原因であると主張する。空港の書店で手に取る本としては確かに引きの強い物語だが、より広い科学コミュニティの精査にかけるとたちまち瓦解する程度のものである。
カリフォルニア大学アーバイン校やブラウン大学の発達心理学者をはじめとする独立した研究者たちは、そうした主張を裏づけるエビデンスは混在し、曖昧で、しばしば矛盾していることを繰り返し指摘してきた。数十カ国を対象にした大規模なメタ分析でも、ソーシャルメディアの普及と世界的な幸福度の低下との間に、一貫した測定可能な関連性は示されていない。実際に我々が目の当たりにしているのは、中学の理科の先生が口を酸っぱくして注意してくれた、あの典型的なケースそのものである――「相関」と「因果」を取り違えてはならない。
加えて、これらの法案を裏づけるために用いられている研究の多くは、10代の不安やうつの増加に対する重要な代替説明――パンデミック期の孤立がもたらした持続的な影響、学校での銃暴力の絶えざる脅威、経済的・気候変動関連のストレスの増大など――を考慮も、排除もしていない。ソーシャルメディアだけに焦点をあてれば、若者のメンタルヘルスに影響を与えるより広範な社会的要因が見落とされてしまう。
「不安」(を煽る)専門家のカルト
ソーシャルメディアの全面禁止を求める現在の動きは、ジョナサン・ハイトの研究、とりわけ著書『The Anxious Generation(不安の世代)』にほぼ全面的に依拠している。ハイトは愛嬌のある優れたストーリーテラーだが、臨床心理学者でも児童発達の専門家でもない。彼はビジネススクールで道徳心理学について著述する社会心理学者だ。にもかかわらず、同書はあらゆるベストセラーリストに名を連ね、ハイトはオプラ、ジョー・ローガン、ミシェル・オバマ、トレヴァー・ノアといった巨大なリーチを持つポッドキャストで専門家として崇められている。こうして彼のメッセージは社会の幅広い層に届いている。彼の提言の骨子はこのようなものだ――16歳未満にスマートフォンとソーシャルメディアを与えない、学校をスマホ持ち込み禁止にする、「監視されない現実世界での自立」の機会を増やす。
ソーシャルメディア禁止立法に対するハイトの影響力がいかに大きいかを示しておこう。カリフォルニア州のソーシャルメディア禁止法案に関する委員会分析報告では、ハイトの名前が20回も言及されている。ユタ州知事は同書を「必読」と推薦し、その数カ月後に全米初のソーシャルメディア禁止法に署名した。フロリダ州のソーシャルメディア禁止法案の法案分析にもハイトが引用されている。学校でのスマートフォン禁止を目指す連邦法案にも彼の研究への言及がある。さらに2022年5月には、米国上院司法委員会(テクノロジー・プライバシー・法律小委員会)で正式な証言も行っている。
ハイトの研究は、何百万人もの若者から表現とつながりの権利を剥奪する立法の中心的な推進力となってきたが、その結論が反論を受けていないわけではなく、この分野の多くの専門家が、頑健なエビデンスとは言いがたいと主張している。
ソーシャルメディア禁止を煽る「デタラメ科学」
ジョナサン・ハイトの「大規模な再配線」理論が読み物として引き込まれるものであることは認めよう。しかし、独立した研究者や統計学者たちが、その正当化に用いられたデータに重大な欠陥を特定しているという事実を無視するわけにはいかない。つまり我々はいま、他の公衆衛生の分野であれば即座に却下されるようなエビデンスにもとづいて、政策立案者が全面禁止の立法を進めるさまを目撃しているのだ。
実際、ソーシャルメディアの利用と若者のメンタルヘルスの悪化との間に想定される因果関係を、研究は一貫して否定してきた。むしろ、適度なインターネット利用は10代の発達にとってプラスであり、否定的な結果が生じるのは通常、アクセスの欠如か過剰使用のいずれかに起因することが示されている。10万人の青少年を対象にした大規模研究では、「U字型の関連が浮かび上がり、適度なソーシャルメディア利用が最もウェルビーイングの良好な結果と結びついていた一方、まったく使用しない場合と最も使用が多い場合の双方がウェルビーイングの低下と関連していた」という結果が得られている。また、若者とソーシャルメディアとの関係は複雑であり、市民参加やアイデンティティの探求、コミュニティの構築のための不可欠な場を若者に提供していることも我々は知っている。とりわけ、物理的な環境ではサポートを得られにくいLGBTQ+や社会的に周縁化された若者にとって、その意味は大きい。
しかし繰り返すが、ハイトが著書で提示するイメージは、より広範な学術的コンセンサスとますます乖離を深めている。前述のとおり、ソーシャルメディアが及ぼすメンタルヘルスへの影響に関するエビデンスは混在し、曖昧で、しばしば誤って解釈されていると批判者たちは指摘する。ニューヨーク大学の統計学の専門家アーロン・ブラウンはReason誌への寄稿で、ハイトの膨大な参考文献リストに含まれる多くの研究が統計的に信頼性を欠いているか、強い因果関係を示していないと指摘している。心理科学分野の第一人者であるキャンダス・オジャーズ教授は、議員たちがしばしば無視する「選択効果」について次のように説明する。
「私自身を含む数百人の研究者が、ハイトが示唆するような強力な効果を探し求めてきた。我々の努力が生み出したのは、関連性なし、弱い関連性、そしてまちまちの結果の混合である。データの大半は相関的なものだ。経時的な関連性が見出された場合でも、それが示唆しているのは、ソーシャルメディアの利用がうつを予測ないし引き起こすということではなく、すでにメンタルヘルスの問題を抱えている若者が、健康な仲間とは異なる頻度や使い方でそうしたプラットフォームを利用しているということである。」
ここで浮上するのは、立法責任に関する根本的な問いだ――科学が確定していないのであれば、議員たちはいかなる根拠をもって「公衆衛生上の危機」を宣言し、若者の合衆国憲法修正第1条の権利を剥奪することを正当化できるというのだろうか。科学コミュニティの厳密でニュアンスに満ちた知見を見ないふりをして、より都合のよいナラティブを選び取る議員たちは、エビデンスよりも感情を優先しているのだ。若者の情報へのアクセスにこれほど苛烈な制限を課す前に、政策立案者には実際の研究に掘り下げ、過度に単純化された結論に警鐘を鳴らす専門家の声に耳を傾ける義務がある。
「社会的感染」ナラティブの危険性
ハイトの運動において最も問題視すべき側面は、周縁化された若者のアイデンティティを病理化するイデオロギー的レトリックとの重なりであり、それがいかにして若者のソーシャルメディア禁止の動きに流れ込んでいるかという点だろう。ソーシャルメディア禁止の推進者が好む文献に繰り返し登場するテーマが、「社会的感染」という概念である。具体的には、トランスジェンダーやノンバイナリーを自認する若者の増加に関連して用いられる。ハイトは著書の1章をまるごとこの議論に充てており(第6章第3部、165ページ)、「なぜソーシャルメディアは男子より女子に害をもたらすのか」を論じて、こう述べている。
「性別違和の診断の近年の増加もまた、ソーシャルメディアのトレンドと部分的に関係している可能性がある。(中略)子供時代にはその兆候を示さなかった多くの青少年に性別違和が診断されるようになっている事実は、社会的影響や社会由来の伝播(sociogenic transmission)が作用していることを示唆している。」
ソーシャルメディアが若者を性別違和で「感染させている」と示唆するこうした有害な理論は虚偽であり、ピアレビューを経た臨床研究に裏づけられていない。しかし、こうした反証済みの理論を広める「専門家」を正当化することで、議員たちは――とりわけLGBTQ+の若者のサンクチュアリであることを自負するカリフォルニア州の議員たちでさえ――他の州で若者への性別適合医療を禁止するために使われているのと同じレトリックに、意図せず加担してしまっている。「社会的感染」というナラティブは排除のための道具であって、科学的な事実ではない。周縁化された若者のコミュニティ構築と自己発見を、TikTokを介して広まる「精神疾患もどき」として扱うような「公衆衛生」の議論に対しては、我々は警戒を怠ってはならない。
目指すべき道――禁止ではなく、デジタルウェルネスを
幸い、計量的でエビデンスにもとづいた代替策がすでに登場しつつある。たとえばカリフォルニア州のA.B. 2071は、禁止ではなく計量的でエビデンスにもとづいた選択肢を提示する、生徒が起草した「デジタルウェルネス」法案だ。この法案は、アルゴリズムへの対処法、サイバーいじめの認識法、テクノロジーとの関係を自分で調整する方法を生徒に教えるカリキュラムを提唱している。若者をソーシャルメディアから完全に遮断しようとするのではなく、教育にもとづくアプローチは若者をエンパワーし、教室を離れた後も長く役立つスキルを提供できるという利点がある。
刑事司法団体であるJustLeadershipUSAのスローガンは、この文脈にもそのまま当てはまる――「問題に最も近い人々こそ、解決に最も近い」。若者が何を求めているのかに耳を傾けることから始めよう。彼らが求めているのは、家父長的で力を奪うような禁止措置の押しつけではなく、より多くの教育だ。
感情ではなく、精密さにもとづく立法を
青少年のメンタルヘルスの問題は、複雑で多面的な危機である。有史以来存在し続けてきた危機であり、経済的不安定、オピオイド危機、学校での暴力の脅威、その他さまざまな問題によって増幅されてきたものだ。社会の病弊のすべてをスマートフォンのアプリに押しつけるのは、科学的な誤りであるだけでなく、オンライン・オフラインを問わず若者の現実的・構造的なニーズを無視した政策の失敗である。
議員たちは「不安な親」として立法するのをやめ、冷静な政策立案者として行動しなければならない。なぜなら一部の若者にとって、ソーシャルメディアは命綱だからだ。UNICEFをはじめとする国際人権機関は、年齢に基づく制限や全面禁止が3つの重大な形で逆効果をもたらしうると警告する。第一に、社会的に周縁化された若者(LGBTQ+の若者、地方の学生、里親家庭の若者、障害のある若者)を孤立させる。こうした若者にとってソーシャルメディアは支え合えるコミュニティを見つけられる唯一の場であることが多い。第二に、大人を含むすべてのユーザから生体認証データや公的身分証明書を侵襲的に大量収集する必要が生じる。そして第三に、コンテンツモデレーションが存在せず、現実の搾取のリスクが格段に高い、規制の行き届かないウェブの「より暗い」片隅へと若者を追いやる。
立法者が子供の保護に正当な関心を持つのは当然だが、その関心は的を絞った計量的なアプローチを通じて追求されなければならない。感情や欠陥だらけのデータの寄せ集めをもって、デジタルライツの歴史的な後退を正当化するなど、許されるはずがない。
The Science is Not Settled: How Weak Evidence is Fueling a National Push to Ban Social Media for Youth | Electronic Frontier Foundation
Author: Rindala Alajaji / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: May 13, 2026
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Panos Sakalakis