以下の文章は、電子フロンティア財団の「It’s Not 230 You Hate, It’s Oligopolies」という記事を翻訳したものである。
通信品位法230条の廃止や修正を求める声を聞いていると、どうも多くの人がビッグテックに影響を与える法律と、ビッグテックを取り巻く全体像を混同しているようだ。230条はビッグテックへの贈り物ではないし、廃止したところでビッグテックが引き起こしている問題がたちどころに解決するわけでもない。問題の根幹は230条ではなく、競争の欠如にあるのだから。
230条は、オンラインの違法な表現に責任を負うのは発言した本人であって、投稿されたウェブサイトや共有したアプリなどの第三者ではない、というシンプルな原則を定めている。つまり、オンラインでの表現に責任を負うのは投稿した本人だけということである。この法律にはいくつかの制限が設けられていて、仲介者は連邦刑事法に基づく責任まで免責されるわけではない。あくまでも、ユーザが表現を共有・保存できるようにする新しいサービスを奨励する常識的な法律である。また、230条はインターネット企業だけを対象にしているわけではなく、WikipediaやInternet Archiveのような非営利団体や教育団体など、ユーザ生成コンテンツをホストする仲介者がその保護を受けている。
230条は、ビッグテック企業に競合他社を弾き飛ばす魔法の盾を与えているわけでも、ましてや強大な権力を固定化する根拠を与えているわけでもない。むしろ逆である。新興スタートアップがユーザの表現を理由に無数の訴訟にさらされることになれば、大手テック企業の競争相手に成長できるだけの投資を得ることはできない。一方、230条を修正したところでFacebookが窮地に追い込まれることもない。Facebookは、たくさんの弁護士やスタッフを配置できるし、さまざまな変化に対応するための有り余る資金を貯め込んでいる。では、それができないのは誰か? まさにFacebookに挑んでいる潜在的競合サービスだ。Facebookが230条の修正を支持する背景には、こういう狙いがあるのだろう。
Amazon、Apple、Facebook、Googleといった企業の影響力を懸念するのは当然のことである。だが、230条をめぐる混乱はまったく見当違いだ。問題は230条ではなく、寡占にあるのだから。
毎月、数十億もの人々がFacebookやGoogleを利用し、その利用者数はほとんどのすべての国家人口を上回る。巨大さには2つの難点がある。第一に、それほどの規模では、透明性を保ち、公平な利用規約を一貫して適用することがほぼ不可能である。第二に、ユーザの特定のニーズやウォンツに応えるオーダーメイドのサービスにはなり得ない。だが、規模に価値が置くからこそ、彼らは広告を売ることができる。そして同時に、巨大だからこそアカウントの凍結が深刻な問題になるのだ。
ユーザは、自分に合ったプラットフォームを探せなければならない。たとえば、ハラスメントとの戦いを最優先事項に上げるプラットフォーム。あるいは、すべての編み物好きに安全な空間を提供するためのプラットフォーム。プライバシーを約束してくれるプラットフォーム。もちろん、「表現の自由」を謳うプラットフォームも。社会参加のために何かしらのプラットフォームに参加しなければならないなどということはない。だが、多くの個人や中小ビジネスは選択の余地がないと感じている。FacebookやGoolgeにいなければ、存在しないに等しいのだ。
先日、CNNはオルタナ右翼の崩壊を取り上げた記事の中で、ヘイトに満ちたレトリックが、誰もがそれを許容するプラットフォームにしかなくなってしまったがために失速していったことを指摘している。そこには、彼らの主張を伝えてくれるジャーナリストも、対立してくれる「リベラル」もいなかった。それゆえに失速していったのだ。
多くのテック企業は、成長こそが最優先であるという考えのもとに経営されている。スタートアップ企業であれば、可能な限り早く大きく成長するために資金を投入し、その多くがビッグテック企業からの買収を目指す。「キルゾーン」という言葉で知られているように、ビッグテック企業は新興企業が自社の真の脅威にならないように、M&Aを活発化させ、買収ゴールを目指すよう仕向けてきたのだ。
230条を変えるのではなく、反トラスト法とその執行を変えねばならない。まず、買収・合併の審査はもっと詳細に行われなければならない。その点では、申請されていたVisaとPlaidの合併が承認されなかったのは良い兆候と言える。我々は、企業もたらす害について新しい捉え方をしなくてはならない。単に余分にお金を支払わされることになるだけの話ではないのだ。FacebookとGoogleは無料だからこそ、プライバシーや労働者の権利、デジタルメディアやテクノロジーの修理や真の所有にもたらす悪影響を考えなければならない。新しいサービスを買収した時点ではユーザのデータを結合しないと約束しておいて、後に反故にするような企業は罰せられなければならないのだ。プライバシー法制に焦点を当て、プライバシーが害されたことに対して訴訟を起こせる権利が与えられなければならない。ユーザによる表現の責任を企業に負わせることより重要なはずだ。
これら企業の有害さがその巨大さと表裏一体の関係にあるのであれば、我々はその解体を模索しなければならない。しかし、上述したように多岐にわたる問題を抱えていることを考えれば、解体さえも解決策の一部に過ぎない。
重要なのは、1つの法律だけではビッグテックの問題を解決できないということだ。230条だけで解決できるほど単純なものではないし、企業解体でも解決できないほどに複雑なのである。ビッグテックが自らの権力を維持するために歪めてきたエコシステム全体を変えなければならない。それは230条からではなく、競争から始まるのだ。
It’s Not 230 You Hate, It’s Oligopolies | Electronic Frontier Foundation
Publication Date: JANUARY 27, 2021
Translation: heatwave_p2p
Material of Header Image: Julian Hochgesang