以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Conspiratorialism and the epistemological crisis」という記事を翻訳したものである。
去年、エド・ピアソンはシアトルからニュージャージーまでアラスカ航空で飛ぶ予定だった。彼は機内に乗り込んだが、それから客室乗務員と緊迫した話し合いを行い、ボーイングの元上級エンジニアとして、737 Maxではない機体を指定してその便を予約したのだと説明した。
https://www.cnn.com/travel/boeing-737-max-passenger-boycott/index.html
彼が737 Maxに乗ることになったのは、アラスカ航空が運航上の理由から、その便の機体を変更したためだった。大陸を横断をするのにその機体は安全ではないと感じ、機内から降ろしてもらうよう求めた。荷物を降ろしてもらい、驚く客室乗務員に「今は詳しく説明できないが、Maxに乗るつもりではなかったので、飛行機から降りたい」と告げてジェットブリッジを歩いて戻った。
ボーイングは、何年もかけて作り上げられた空飛ぶ災いだ。同社の航空機は2019年以降、立て続けに墜落事故を起こしている。続々と名乗りを上げる内部告発者も、同社の航空機は安全ではないと語っている。ピアソンだけでなく、他のボーイング社員ですら、特定のボーイング機種、あるいは最近のボーイング機なら何でも乗りたくないと公然と、またオフレコで述べている。
https://pluralistic.net/2024/01/22/anything-that-cant-go-on-forever/#will-eventually-stop
それでも、ボーイングの規制当局は何年もの間、同社に問題を抱えた航空機を作り続けることを許してきた。控えめに言っても、かなり恐ろしい状況だ。私は航空宇宙エンジニアでも航空機の安全検査官でもないが、飛行機を予約するたびに、ボーイング機は安全だ、乗っても死ぬことはないという同社の言い分を信用していいかどうかを判断しなければならない。
理想的な世界なら、こんなことを考える必要さえないだろう。説明責任を負った規制当局がきちんと仕事をしてくれて、航空機の安全性を確認してくれると信頼できるならどれほどありがたいか。民間航空制度を運営するのに「チケットを買う方が気をつけろ」などという道理はない。
私はボーイング機の安全性を評価する専門知識を持ち合わせていないが、ボーイングの規制当局の信頼性を評価するだけの一般的な知識は持ちあわせている。FAA(連邦航空局)は何年もの間ボーイングに譲歩し続け、同社が自社の航空機の安全性を自己承認することを許してきた。その結果として数百名の死者を出したときでさえ、FAAはボーイングに自社の宿題に合格点をつけ続けることを許可し続けたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Q8oCilY4szc
さらに、この数百名の死者を出した時期にFAAのトップにいたのは元ボーイングのロビイストだった人物だ。トランプ大統領がボーイングの監督を担う役職に彼を任命したのだ。規制当局にいた元関係者は彼だけではない。ボーイングの給与支払い名簿に載っている元規制当局者も大勢いた。
https://therevolvingdoorproject.org/boeing-debacle-shows-need-to-investigate-trump-era-corruption/
航空の専門家でなくても、企業が自社製品を承認するのは利益相反だということは理解できる。「市場原理」はボーイングが欠陥機を出荷するのを阻止しない。なぜなら同社の上層部は、自分たちの貪欲さが何百人もの人々を殺すことになり、その結果広報担当者を襲う嵐のような日々や、後任者が議会の聴聞会でキュウキュウに締め上げられることなど露ほども思わず、今期の巨額の自社株買いで利益を上げることばかりを気にしているからだ。
ボーイング関係者が同社を去って規制当局で働くようになっても、あるいはその逆でも、利益相反が続くことは航空の専門家でなくても分かる。退任後にボーイングから巨額の契約金をもらうことを期待する規制当局者や、ボーイング株を何百万ドルも保有する元ボーイング幹部は、解消不可能な利益相反を抱えており、同社が安全性を犠牲にして利益を上げようとしたときに責任を問うのは非常に難しく、おそらく不可能だろう。
このような明らかな利益相反を抱えた監督と紛争解決制度を信頼してよいものかと真っ当な不安を感じているのは、ボーイングの乗客だけではない。ボーイング自身の幹部やロビイスト、弁護士もまた、同様に欠陥のある制度への参加を拒否する。ボーイングが株主に訴えられたとして、その裁判官が怒れるボーイングの株主だったとしたら、ボーイングの連中は忌避(訳注:利害関係のある裁判官を当事者の申立に基づいて当該事件の職務執行から排除すること)を要求するだろう。ボーイングが、同社の犠牲者の遺族から起こされた損害賠償訴訟で外部弁護士を探しているなら、たとえ公正を約束したとしても、同社を訴えている弁護士事務所に依頼することはないだろう。ボーイングの幹部の配偶者が離婚を申し立てたとして、その幹部はいずれ元配偶者になる人物が雇った弁護士に弁護を依頼することはない(訳注:原告と被告の弁護人が同じ弁護士である、なんてことは普通に考えればあり得ない)。
確かに、弁護士や裁判官、航空機の安全検査官になるには専門知識と訓練が必要だ。しかしその専門家が関与する制度については、誰にでもその目に見える欠陥を指摘できる。つまり、専門知識を身につけるのは難しいが、その専門知識が周囲の世界に影響するプロセスの欠陥を見つけるのはずっと簡単だ。
そして、そこに問題があった。技術的に複雑で、潜在的に致命的で、そして明らかに信頼できない制度があるのは、航空業界だけではない。あなたが今いる建物を監督する建築基準はどうだろうか。多くの人々は、構造エンジニアが基準を慎重に設計し、その基準が粛々と守られていると何の疑いもなく思い込んでいるが、それが間違いだったことが悲劇的で結末から判明している。
https://www.bbc.com/news/64568826
生き残るためだけでも毎日決断を求められる。生死に関わる高度に技術的な問題は数十、数百とある。車のアンチロックブレーキのファームウェアを信用していいのだろうか。買い物かごに入れた食品を製造した工場の食品衛生規則はどうなっているのだろうか。あるいは、たった今配達されたピザを作ったキッチンは。子どもの学校は子どもたちをきちんと教育しているのだろうか、それとも子どもたちは無知なまま育ち、経済の犠牲者になってしまうのだろうか。
いや、たとえ私が二度とボーイング機に乗らなくても、私はバーバンク空港のアプローチ経路に住んでいて、サウスウエスト航空が毎日50便以上のボーイング機を着陸させている。次に空から落ちてくるボーイング737 Maxが私の屋根に落ちてこないとどうして確信できるだろうか。
これが今日私たちが直面している認識論的危機だ。認識論とは、私たちが物事を知るプロセスである。専門家による技術的な議論を透明で民主的で説明責任を負うプロセスで行わせるのは、生死に関わるあらゆる問題について適切な選択を行うという認識論的な課題を解決するためだ。私たちの社会で最も賢い人たちでさえ、これらの問題すべてを評価する知識を得ることはできない。だが、これらの問題に答えが出されるプロセスを観察し、その妥当性について結論を出すことは誰にでもできる。
そのプロセスは公開されているだろうか。責任者は率直だろうか。利益相反はないか。もしあるなら、不適切に思えるあらゆる決定に一切関与していないだろうか。新しい証拠が明らかになったら、例えば恐ろしい災害が起きたら、プロセスを再開して規則を変更する手段はあるだろうか。
実際の技術的な詳細は、私たちにとって不透明で解読不能なブラックボックスかもしれない。しかしボックスそのものは簡単に観察できる。それは丈夫な素材でできているだろうか。鋭い角と綺麗な線を保っているだろうか。それとも薄っぺらで不規則で裂けているだろうか。それがわかれば、ボックスの中身について何も知らなくても、そのボックスを信用できないと結論づけることができる。
例えば、化学工学や水の安全性の専門家ではなくても、規制当局が問題に真剣に取り組んでいるかどうかは判断できる。2019年に、ウェストバージニア州環境保護局は同州の水の安全性に関する規制についてパブリックコメントを実施した。ダウ・ケミカル(同州最大産業の最大企業)は、ウェストバージニア州の飲料水の化学物質汚染基準を緩和すべきだと主張するコメントを提出した。
さて、私は水道水に含まれる化学物質の量には安全なレベルがある、ということは了承している。水道水にはさまざまな経路の水が含まれるし、結局のところ、問題は「毒の量」なのだ。それに私は、製造過程で化学廃棄物を生み出す製品を使用している。そうした製品が安全に作られることを望んではいるが、製造をやめろとは思わない。次に手術を受ける際には、麻酔科医に新鮮で滅菌されたプラスチックチューブで点滴を始めてもらいたいからだ。
そして私は化学者でもなければ、ましてや水質化学者でもない。毒物学者でもない。この議論には私には全く評価できない側面がある。それでもなお、私はウェストバージニア州のプロセスは悪いプロセスだったと考えている。
https://www.wvma.com/press/wvma-news/4244-wvma-statement-on-human-health-criteria-development
これはダウ社の規制当局へのコメントだ(同社を支配するウェストバージニア州製造業協会が提出したもの)。コメントの中で、ダウ社は、ウェストバージニア州の住民は他の米国人よりも太っているので、組織が多く、したがって典型的な米国人よりも毒への耐性があり、他の米国人よりも多くの毒を安全に吸収できると主張する。しかもそれだけではない。ウェストバージニア州の住民は州外のいとこたちほど水を飲まず、代わりにビールを飲んでいるので、たとえ水道水の毒性が州外より高くても、そもそも飲む量が少ないから大丈夫だと言っているのだ。
https://washingtonmonthly.com/2019/03/14/the-real-elitists-looking-down-on-trump-voters/
毒物学や水質化学の専門知識がなくても、これらがでたらめな答えだと分かる。ウェストバージニア州の規制当局がこれらのコメントを受け入れたという事実は、彼らが真っ当な規制当局ではないことを私に告げる。私は昨年ウェストバージニア州で講演をするために行ったが、水道水は飲まなかった。
専門家の意見の相違を解決するプロセスが明らかに腐敗し、取り返しのつかないほど欠陥があるなら、非専門家が専門家の結論を拒否するのは全く合理的なことだ。とはいえ、チャールストン滞在中にペットボトルの水だけしか飲まないのは簡単だが、ある種の拒否は、それを拒否する人とその周囲の人により高いコストを強いることもある。
ワクチン否定論(あるいは「躊躇」)について考えてみよう。多くの人々が、高度な技術を必要とするコロナウイルスワクチンの極めて迅速な登場を、不安と不信を持って迎えた。彼らは、製薬業界が腐敗した貪欲な企業に支配され、日常的に国民の安全よりも利益を優先させていて、規制当局は製薬業界に取り込まれて大量殺人を黙認していると主張した。
実際、そのすべてが真実だ。私は5回もコロナウイルスのワクチン接種を受けたが、それは製薬業界を信頼しているからではない。私は製薬会社が安全性を犠牲にして貪欲の祭壇に捧げている実例を直接経験しており、自身も危うく薬害を被るところだった。私は生涯にわたって慢性の痛みに悩まされ、それも年々悪化している。娘が生まれる時、これが育児の妨げにならないように何とかしなければと決意した。長時間娘を抱っこできるようになりたかったんだ! そこで以前は諦めていた痛みの治療法を積極的に探し始めた。
多くの専門家を訪ね歩いた。理学療法士、栄養士、リハビリの専門家、神経科医、外科医…。ありとあらゆる療法を試した。幸い、当時はイギリスにいて、妻は民間の保険に加入していた。望みがあるならと、どんな医者のもとへも行った。そうしてハーレー・ストリートのインチキ医者、著名な痛みの専門医の診察室へ行き着いたのだ。彼は私に素晴らしいニュースを告げた。オピオイドは以前考えられていたよりもはるかに安全で、毎日毎晩、一生涯オピオイドを飲み続けても深刻な依存症のリスクはない、大丈夫だ、と。
正直、信じられなかった。私は何人もの友人をオーバードーズで失い、薬物中毒と戦いながら惨めな生活に陥っていくのを見てきた。そこで「自分で調べる」ことにした。化学や生物学、神経学、薬理学の知識はないが、論文を読み込み、解説を読み、オピオイドは全く安全ではないという結論に達した。むしろ、サックラー家のような腐敗した億万長者の製薬会社オーナーが、規制当局と結託して、世界で最も尊敬されている査読付きの学術誌にさえ掲載される改ざん研究を押し通すことで、何百万人もの命を危険にさらしていたのだ。
つまり、私はオピオイド否定論者になった。
私は自分で調べた結果に基づいて、専門家たちが間違っていると判断し、その間違いは腐敗に根ざしたものであり、彼らのアドバイスを信用できないと判断した。
私がワクチンを信頼するのは、製薬システム全体への信頼が回復したからではない。むしろ、ワクチンに向けられる極めて厳しい精査の目が、製薬会社がそれまで何度も行ってきた、有害であると知りながら薬を不正に売り続ける強欲ささえ凌駕するだろうと判断したからだ。
https://www.npr.org/2007/11/10/5470430/timeline-the-rise-and-fall-of-vioxx
しかし、私の同僚や友人の多くはワクチン反対派に対して異なる見方をしていた。長年、彼らとは広く意見が一致していると感じていたが、彼らはワクチン反対派は愚かだと言い始めた。驚いたことに、彼らは反ワクチンが右派の文化戦争のクソ野郎が煽る分断争点だと知るや否や、ワクチンを支持するだけでなく、製薬会社そのものを支持するようになった。
この現象には「分裂生成(schismogenesis)」という名前がつけられている。ある問題について、誰がそれを支持しているかで、自分がどう感じるかを決めることだ。米国の残酷で、無慈悲で、無法な「インテリジェンス・コミュニティ」がトランプの失脚を目指しているように見えたとき、「プログレッシブ」を称する人々が彼らの応援団になったことを考えてみよう。
https://pluralistic.net/2021/12/18/schizmogenesis/
FBIがトランプを嫌っているからといって、プログレッシブの味方になるわけではない。彼らは、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアに自殺を迫ろうとした組織なのだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/FBI%E2%80%93King_suicide_letter
しかし分裂生成は、敵意に基づく反射的な手のひら返しだけを意味しているのではない。実際には合理的な認識論的戦術である。自分自身で情報集できる以上に理解しておかなければならない問題が存在する世界では、何らかのショートカットが必要だ。たとえば、今やまともに機能していないが「まあ、専門家が真実だと言っているんだから暫定的に信じよう」というショートカットがある。あるいは「悪意を持って行動している人々が真実だと言っているのだから、暫定的に信じないことにしよう」というショートカット。つまりは「分裂生成」だ。
分裂生成は優れた戦術ではない。私たちが皆おおよそ信頼できる制度、つまり専門家の議論が行われるブラックボックスが頑丈で、直線的で、角が尖ったものであれば、もっと良いはずだ。
だが実際にはそうなってはない。全くそうではないのだ。私たちの規制プロセスは最悪だ。企業の集中によって、カルテルが規制当局を捕らえ、たとえそれが公衆に甚大な危害、つまり大量の死をもたらすことになったとしても、企業の株主に利益をもたらす結論へと導くことがあまりにもたやすくなってしまった。
https://pluralistic.net/2022/06/05/regulatory-capture/
ビッグテックほど私が嫌うものはないが、ビッグテックと共に戦ってきた多くの戦友たちが、陰謀論の台頭をテック・プラットフォームのせいだと考えている。彼らは、ビッグテックがアルゴリズムを用いて我々の信念を巧みに操作していると主張し、QAnon、地球平面論者、その他の突拍子もない陰謀カルトの責任をアルゴリズムの乱用に帰している。
「私たちはビッグデータのマインドコントロール光線を作った」という主張は、とんでもない証拠を必要とするとんでもない主張だ。しかし、ビッグテックの説得マシンを立証する証拠は非常に乏しい。その大部分は、テック・プラットフォーム自身が、投資家や広告商品の顧客に自社を売り込む際の謳い文句でしかない。「私たちは人々の心を変えることができる」というのは、広告業界が長年使い倒してきた常套句である。そして実際に彼らが変えてきたのは(訳注:一般消費者の心ではなく)広告主の心だ(訳注:そうして広告を売りつけてきた)。
デパート王ジョン・ワナメーカーの名言を思い出そう。「広告に使うお金の半分は無駄になる。問題は、その半分がどれか分からないことだ」。今日、商業的監視のおかげで、広告支出の無駄の割合は99.9%に近いことが分かっている。広告代理店は長時間にわたる個人的でねちっこい営業活動によってジョン・ワナメーカーやその後継者たちを説得するのは上手いのかもしれないが、そのことは大量のバナー広告やスパムボットを使って、我々消費者に効率的に商品を販売できることを意味するわけではない。
http://pluralistic.net/HowToDestroySurveillanceCapitalism
つまり、Facebookが我々は説得が上手いのだと主張しているからといって、それが真実だというわけではない。チャットボットでコスト削減を謳うAI企業と同じだ。彼らは、実際に機能する製品を提供するよりも、(労働者の解雇に飽くなき欲望を抱く)経営者に自分たちの製品が機能すると思わせるほうがよっぽど上手い。さらに言えば、彼らの収益性は、実際に機能する製品を提供することではなく、製品が機能することを信じたい金持ちビジネス幹部の説得に大きく依存している。
もちろん、Facebookをはじめとするテック大手が陰謀論的信念の台頭に重要な役割を果たしたのは事実だ。だが、アルゴリズムを使って制度への不信を煽ったからではない。他分野の企業カルテルと同様に、ビッグテックが規制システムを腐敗させ、制度への信頼を不合理なものにしたからだ。
連邦プライバシー法を考えてみよう。米国が最後に導入した連邦消費者プライバシー法は1988年にまで遡る。議会はビデオプライバシー保護法を可決し、レンタルビデオ店の店員がVHSレンタル履歴を漏らすことを禁じた。
https://www.eff.org/deeplinks/2008/07/why-vppa-protects-youtube-and-viacom-employees
それからずいぶん時間が経った。米国人を悩ませる明白なプライバシーの懸念は、テック大手に起因している。だが、議会がいまやろうとしているのは、米国に唯一進出した中国系テック大手を米国企業に強制売却させることだけ、である。無法状態のプライバシー侵害を同胞の米国人自身に行わせ、収集したデータをこれまた無法状態の米国のデータブローカーに売買させ、無数の米国人の監視データを中国のスパイに買わせる――それでいいと考えているのだ。
https://www.npr.org/2024/03/14/1238435508/tiktok-ban-bill-congress-china
数百万の米国人、特に若者にとって、連邦プライバシー法の制定に失敗したこと(あるいは提案さえしなかったこと)は、米国の制度への不信を証明するものだった。彼らの言うことは正しい。
https://www.tiktok.com/@pearlmania500/video/7345961470548512043
オッカムの剃刀は、私たちが周りの世界で見る現象に対し、最も単純な説明を求めるよう警告する。オンラインで見かけた陰謀論を信じる理由は、Facebookの言い分なんかよりも、はるかに単純な説明がある。特にラスプーチンからMKウルトラ計画、ナンパ師(pick-up artists)に至るまで、かつてマインドコントロールを完成させたと主張した連中が、空想家か嘘つきだったという否定しがたい事実を考えればなおさらだ。
おそらく、人々が陰謀論を信じるのは、毎日何百もの生死に関わる決定を下さなければならず、それを可能にしてくれるはずの制度が、信頼できないことを繰り返し証明しているからだ。それでも、そうした決定は下さなければならず、それゆえ、決定が下されるブラックボックスに残された認識論的空白を埋めるものを必要とする。
多くの人々、数百万の人々にとって、ブラックボックスの空白を埋めるものは陰謀のファンタジーだ。確かにテクノロジーは、こうした陰謀のファンタジーを以前よりも格段に見つけやすくし、陰謀論的信念に基づくコミュニティの形成を容易にした。しかし、アルゴリズムが特定・標的とする陰謀論への脆弱性は、ビッグデータによってもたらされたのではない。それは腐敗によってもたらされたのだ。あなたの賃金を盗んだり、金持ちの犯罪が咎められなかったり、大企業の利益のために安全性を犠牲にしたりする本物の陰謀が至る所に存在する世界に生きることが、陰謀論を信じさせているのだ。
プログレッシブ、つまりリベラルと左派の連合体は、かつてはこうした陰謀を暴き、非難していた。だが、トランプが自由貿易とメインストリームメディアを支配階級の手先だとして非難したのに対し、右派の「大衆主義者」から反発の声があがると、プログレッシブは分裂生成的思考に陥り、かつて敵とみなした連中に声高な指示を表明するようになった。
これがナオミ・クラインの2023年の良書『ドッペルゲンガー』の核心だ。プログレッシブ連合が、こうした価値のない破綻した制度を支持し始めたとき、右派はその批判の「鏡世界」バージョンを紡ぎ出した。制度と戦うのではなく、弱い立場の人々をスケープゴートにするだけの歪んだバージョンだ。
https://pluralistic.net/2023/09/05/not-that-naomi/#if-the-naomi-be-klein-youre-doing-just-fine
これは政治における長い伝統である。何百年も前、一部の左派は反ユダヤ主義を「愚者の社会主義」と呼んだ。反ユダヤ主義者は、金融セクターとその富の受益者を擁護する体制を非難するのではなく、その体制の下で苦しんでいる特定の人々、つまり、我々と同じように苦しんでいる人々を槍玉に挙げた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Antisemitism_is_the_socialism_of_fools
それは、階級制度がどのように機能し、なぜ一部のエリートを除いてすべての人に有害であるのかについて、社会主義が慎重かつ包括的に分析した結果を、醜く、浅はかで、戯画的に単純化したものに過ぎない。文字通り漫画的に、階級闘争の象徴を巧みに利用し、単純化しただけの社会主義の反転した世界のバージョンだ。そして分裂生成、つまり「右派がこれを好むなら私は好まない」という考えは、金融を世界の問題の核心として批判する勇気ある者に、「反ユダヤ主義の犬笛を広めている」という「進歩的な」の叱責を叩きつけるのだ。
これが「蹄鉄理論」、つまり政治的スペクトルが折れ曲がり、極右と極左が同じ地点に行き着くとするアイデアのおかしな点だ。
https://pluralistic.net/2024/02/26/horsehoe-crab/#substantive-disagreement
右派が製薬会社を批判するとき、彼らは我々に「自分で調べろ」と言う(例えば、パンデミック時であろうと危険な環境で働かざるをえない人々が抱える構造的問題なんて関係ない、ワクチンの安全性に異を唱える主張を個別に評価しろ、理想的にはペテン師から「サプリメント」を買うことが望ましい(訳注:反ワクチン陰謀論を拡散するアレックス・ジョーンズを支持する人たちは、効果の不確かなサプリを購入して彼に巨額の富をもたらしていた))。一方、左派が製薬会社を批判するのは、万人の医療アクセスを求め、製薬会社への厳しい監督・規制を求めるためだ。決して同じではない。
https://pluralistic.net/2021/05/25/the-other-shoe-drops/#quid-pro-quo
信頼できない制度が存在する時代には、正しい選択をしようとしてもそれができない認識論的危機がもたらされる。ご都合主義的な右派政治家たちが、それを指摘すればポイントを稼げると気づくはるか以前から、左派は警鐘を鳴らしてきた。陰謀論――すなわち我々が共有する現実の分裂は深刻な問題であり、ポリクライシス(polycrisis)がもたらす終わりなき惨事と戦う力を損ねてしまう。
しかし、陰謀論の問題を(信頼を失った制度に相応の批判をするのではなく)信じる側の無知に帰してしまえば、我々は右派の論理を採用することになる。「陰謀論は、個人が間違ったことを信じてしまう問題」ではない。「間違った説明に信憑性を持たせてしまうシステムと、その制度が健全で信頼できるとみなしてしまう分裂生成的な主張」の問題なのである。
(Image: Nuclear Regulatory Commission, https://meanwell-packaging.co.uk, CC BY 2.0)