以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「The paradox of choice screens」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

司法省がGoogleに対する反トラスト訴訟に勝利した。公式発表だ。これから6か月の間に「是正措置」の段階に入り、Googleの違法な独占支配に対処する裁判所命令の内容が決定される。

https://pluralistic.net/2024/08/07/revealed-preferences/#extinguish-v-improve

もちろん、これは始まりに過ぎない。たとえ裁判所が強力な是正措置を命じたとしても、Googleは控訴するだろう(実際、そうすると表明している)。そうなれば、この訴訟は数年にわたって長引くことになる。しかし、それは悪いことばかりではない。数年にわたって控訴審が続く間、Googleは最善の行動をとらざるを得ず、社内文化も大きく改革されるだろう。控訴審で自社の生き残りをかけて戦うGoogleは、Google検索を意図的に劣化させてユーザが求める情報を得るまでの検索施行(そして広告表示)をかさ増しするような戦略を推進する人物を重用するような企業ではなくなるはずだ。

https://pluralistic.net/2024/04/24/naming-names/#prabhakar-raghavan

長期に渡る控訴審で反トラスト法の地獄に追い込まれた企業から、どれほど素晴らしいものが生まれるかを侮ってはならない。1982年、IBMは12年間の戦いの末、反トラスト法の訴追を逃れた。その間、同社のビジネスアプローチは完全に変革された。10年以上にわたり、IBMの経営陣は反トラスト法執行者の怒りを買って控訴審で敗北しないよう弁護士たちに徹底的に管理され、完全に生まれ変わった。同社が初めてパーソナルコンピュータを製造した際には、汎用部品を使用することを決定し(つまり、誰でも同じ部品を購入して類似のPCを作れるようにした)、OSを外部ベンダーのMicro-Softから購入した(つまり、競合するPCも同じOSを使用できるようにした)。さらに、PCのROMをクローン化した企業に黙認の姿勢をとった。これにより、Dell、Compaq、Gatewayなどの企業が、公式のIBM PCよりも安価で高性能な「PCクローン」を市場に投入できるようになった。

https://www.eff.org/deeplinks/2019/08/ibm-pc-compatible-how-adversarial-interoperability-saved-pcs-monopolization

もちろん大きな疑問は、裁判所がGoogleに対し、例えばAndroid、広告部門、Chromeの売却などの分割命令を下すかどうかだ。この問題については別の機会に取り上げたいのだが、今日は、インターネットの主要な入り口であるブラウザの独占状態をいかにして解消するかについて考えてみたい。世界には、SafariとChromeという2つの非常に支配的なブラウザが存在し、それぞれが2つのOSベンダーに所有され、自社のデバイスにプリインストールされ、デフォルトとして事前に選択されている。

デフォルト設定は重要だ。これは、メータ判事のGoogle事件の判決の重要な部分を占めている。裁判所は、Googleの内部調査から、ユーザはめったにデフォルト設定を変更しないという証拠を見出した。つまり、ガジェットは箱から出した時の状態が、おそらく永久に続くということだ。Googleは長年、自社の独占支配を弁解するために「選択肢はクリック一つで利用可能だ」と主張してきたが、それが否定されたことになる。確かに、クリック一つで選択できる。しかし、そのクリックをユーザがほとんど行わないことをGoogleは十分承知していたのだ。

つまり、Googleのブラウザ独占を是正するには、デフォルト設定をめぐる様々な議論を踏まえなければならない。この議論は決して新しいものではない。長年にわたり、規制当局とテクノロジー企業は、名目上はユーザに様々なブラウザを試すよう促し、OSにバンドルされた2大ブラウザの惰性を打破するための「選択画面」をいじり回してきた。

これらの選択画面の実績は様々だ。2019年のGoogleによるAndroidセットアップの選択画面は、欧州モバイルアプリケーション頒布協定(European Mobile Application Distribution Agreement)のために用意されたものだが、ユーザの大多数がChromeを選択する結果となった。Microsoftも2010年に同様の経験をしている。このBrowserChoice.euは、2000年代のEUの反トラスト法訴訟への対応だった。

https://en.wikipedia.org/wiki/BrowserChoice.eu

これは選択画面が機能しないことを意味するのだろうか? そうかもしれない。選択画面のアイデアは、「ナッジ」という「選択アーキテクチャ」の世界から来たもので、規制当局が実際の規制を行わずに大きな変化をもたらせるという約束を掲げて台頭したテクノクラートによる疑似科学だ。

https://verfassungsblog.de/nudging-after-the-replication-crisis/

ナッジ研究は「再現性の危機」(基礎的な研究結果が、不適切な研究方法や杜撰な分析などにより再現不可能であることが判明する事態)に陥っており、ナッジ研究者たちの学術不正が次々に明るみに出ている。

https://www.ft.com/content/846cc7a5-12ee-4a44-830e-11ad00f224f9

ナッジ研究者たちの不正が初めて発覚したのは10年以上も前のことだが、当時は誠実かつエキサイティングな分野における例外的な問題だと考えられていた。

https://www.npr.org/2016/10/01/496093672/power-poses-co-author-i-do-not-believe-the-effects-are-real

今日では、この分野から救い出せるものはほとんどない。この分野が現在も真剣に受け止められているとすれば、支持者たちの主張を批判家たちが繰り言のように語ってくれるからであり、リー・ヴィンセルはこれを「批判によるハイプ(criti-hype)」と呼んでいる。

https://sts-news.medium.com/youre-doing-it-wrong-notes-on-criticism-and-technology-hype-18b08b4307e5

例えば、「ダークパターン」という用語は、非常に狡猾な戦術と露骨な詐欺とを区別していない。「クッキーをオプトアウトする」ボタンをクリックすると「成功!」という画面が表示されるが、実際にオプトアウトするには小さな「確認」ボタンをクリックしなければならないのであれば、それは「ダークパターン」ではなく、ただの詐欺だ。

https://pluralistic.net/2022/03/27/beware-of-the-leopard/#relentless

露骨な明らかな詐欺を非難することなく、微妙な心理的操作(「ダークパターン」)と十把ひとからげしてしまうことで、我々は無意識のうちに「ナッジ」を真の科学に高めてしまい、詐欺的な偽科学者たちが率いるカルトであるという本質を見失ってしまうのだ。

これらすべてが、選択画面に関する実証的な疑問を提起する。選択画面は機能するのか(ユーザをデフォルトから離脱させるという意味で)、もし機能するとすれば、それを機能させる最善の方法は何か?

実は、この分野にはかなり良質な文献が存在する。例えば、2017年にロシアがGoogleにAndroidの選択画面を提供するよう強制したが、その画面のデザインをGoogleに任せなかった。このロシアの政策により、Googleのアプリからロシア国産アプリ(主にYandexが提供)への大幅な移行が起こった。

https://cepr.org/publications/dp17779

2023年には、Mozilla Researchが、ドイツ、スペイン、ポーランドの1万2000人を対象に、様々なの選択画面を使用してモバイルおよびデスクトップデバイスの設定シミュレーションを行い、その詳細な研究を発表した。このプロジェクトは、今年から選択画面を義務づけるEUのデジタル市場法(DMA)に触発されたものだった。

https://research.mozilla.org/browser-competition/choicescreen/

私はこの1週間、選択画面に関する文献を読み返しており、Mozillaの論文も読んだところだ。非常に興味深い内容だったが、限界もある。最大の限界は、研究者たちが新しいデバイスのセットアップをシミュレーションしてもらい、その経験にどの程度満足したかを尋ねているという点だ。もちろん研究に値する問題ではあるが、はるかに重要なのは「ユーザが毎日使用するデバイスで実際にセットアップの選択を経験した後、その選択についてどう感じるか」だ。残念ながら、これを研究するには莫大な費用がかかるし、回答が難しい問題だし、この論文の範囲を超えている。

この限界を念頭に置いた上で、この論文の発見を分析し、司法省のGoogle反トラスト法勝訴から生まれる可能性のある選択画面による是正措置に関して、我々が何を求めるべきかについて結論を導き出してみよう。

まず注目すべきは、ユーザが選択画面を好意的に評価しているという点だ。ブラウザを選択できる場合、ユーザはその選択に満足すると予想している。対照的に、ベンダーが選んだデフォルトのブラウザに対しては懐疑的だった。ユーザは選択画面を負担に感じてはおらず、選択画面を追加してもセットアップ時間は大して増えない。

ここにはいくつかのニュアンスがある。ユーザはデバイスのセットアップ中の選択画面は好むが、ブラウザを初めて起動する際に表示される選択画面は好まない。これは理にかなっている。「ブラウザを選ぶ」ことは「ガジェットのセットアップ」タスクの一部と見なせるが、新しいデバイスでブラウザを初めて開く状況というのは、おそらく他の作業(例えば、以前のデバイスで使用していたソフトウェアのインストール方法を調べるなど)のためであり、そのタイミングで選択画面に中断されてしまうと迷惑だと感じられる。初めて訪れたウェブサイトで表示される迷惑なクッキー同意ポップアップの背景にある心理と同様のものだろう。ユーザはそのウェブサイトが提供する何かを必要としてクリックしたのであり、その瞬間にプライバシー・オプトアウト設定画面に足止めされるのは当然ながら腹立たしい(だからこそ企業はそうするのであり、DMAはそのような企業を罰しようとしている)。

研究者たちは、提供するブラウザの数や各ブラウザについての情報量を変えるなど、さまざまな種類の選択画面を試験した。ここでも、ユーザはより多くの選択肢とより多くの情報を好むと報告しており、実際、選択肢と情報の量は、独立系の非デフォルトブラウザの選択と相関関係があった。ただ、その効果の大きさは小さく(10%未満)、どのような選択画面でも、ほとんどのユーザは独立系ブラウザについての知識を得ることなく離脱していく。

ブラウザの表示順序は、ブラウザの数や詳細の量よりもはるかに大きな影響を与える。ユーザは多くの選択肢を望んでいるが、通常は最初の4つの選択肢から選択する。とはいえ、選択画面を利用したユーザは、デフォルトとして選ぶブラウザが変わったと述べている。

こうした矛盾のいくつかは、「デフォルトブラウザ」の意味についてユーザの理解があいまいであることに起因しているようだ。OSベンダーにとって、「デフォルトブラウザ」とはメールやソーシャルメディアのリンクをクリックしたときに起動するブラウザのことだ。しかし、ほとんどのユーザにとって、「デフォルトブラウザ」とは「ホーム画面にピン留めされているブラウザ」を意味する。

これらを踏まえて、どのような結論を導き出せるだろうか? 私は次のように考える。選択画面は、ブラウザの支配状況に対し、おそらく一定程度の影響は及ぼすだろうが、大幅に変えてしまうほどではない。だが実装コストは低く、大きな欠点はなく、監視も容易だ。たとえ裁判所がGoogleにChromeを分離して独立した事業として設立するよう命じたとしても(検索独占企業が所有していなくても、ブラウザの独占は望ましくない!)、Chromeの支配力に対処するために選択画面が必要になるかもしれない。そう、だから、是正措置の一部として裁判所は選択画面を命じるべきだ。大騒ぎすべきだ。

その選択画面は、デバイスのセットアップ中に提示され、選択肢はランダムな順序で表示されるべきである。ただし、注意点がある。Chromeは決して上位4つの選択肢に表示されてはならない。

それがブラウザ独占の完全な解決策にはならないまでも、ブラウザの二強支配状態の緩和には役立つだろう。私は個人的に、Firefoxのマーケットシェアが拡大することを望んでいる。Firefoxは10年以上にわたって、私がラップトップやスマートフォンで毎日使用しているブラウザだ。もちろん、Mozillaにも果たすべき役割がある。同社は、これまで試みてきた様々な副業(退屈なものから致命的な欠陥のあるものまで)を犠牲にしてでも、ブラウザの品質向上に再注力すると述べている。

https://www.fastcompany.com/91167564/mozilla-wants-you-to-love-firefox-again

例えば、怪しげなデータブローカーから自動的にユーザ情報を削除するツールを、怪しげなデータブローカーにアウトソーシングしたことがあった。

https://www.theverge.com/2024/3/22/24109116/mozilla-ends-onerep-data-removal-partnership

また、(既存の技術よりは侵襲性が低いが)「プライバシー保護アトリビューション」という追跡システムもあり、これは広告主のターゲティング監視広告を支援するものだ。Mozillaはこれをオプトアウト方式でFirefoxに組み込んだが、オプトアウトを極めて複雑にした。このことは、ユーザが自由に選択しないだろうと分かっていて押し付けているということを示唆している。

https://blog.privacyguides.org/2024/07/14/mozilla-disappoints-us-yet-again-2

彼らは10年以上にわたり、このような不必要な失態を繰り返してきた。独占的なウェブ企業と、侵襲的で不公正な慣行からユーザを守るブラウザとの間で、バランスを取ろうとしてきたのだ。

https://www.theguardian.com/technology/2014/may/14/firefox-closed-source-drm-video-browser-cory-doctorow

こうした妥協は、Mozillaの将来が、いじめっ子のようなエンターテイメント企業やビッグテックにおもねることで保証されるという誤った考えの現れだ。そうしなければ、ユーザへのサービス提供を続けられないと考えているのだ。同時に、こうした妥協はMozillaのコアユーザ、つまり最も熱心な伝道師であった技術者たちを熱意を冷え込ませるものでもあった。こうしたコアユーザは、彼らの周りの一般ユーザにとって技術的な問題に関する権威であり、Mozillaの恐ろしい妥協がもたらす呪いを正確に理解している。

Mozillaは過去10年間でユーザを大量に失った。つまり妥協を迫る企業からの圧力に更に脆弱になっている。これは破滅的なループを引き起こすことになるだろう。悪い妥協をすればユーザを失い、さらに悪い妥協を迫られるという悪循環に陥る。「この譲歩は、次の譲歩をしないために必要なのだ」という主張は、まったく説得力がない。

過去10年間の苦い経験を経て、Mozillaが果たした新しいリーダーシップの下で再出発は、希望を抱かせるものがある。前述の通り、私にはFirefoxが必要だし、ユーザの利益に何よりも忠実な「ユーザエージェント」を開発する役割を担う、独立した、原則に基づいたブラウザベンダーを望んでいる。

https://pluralistic.net/2024/05/07/treacherous-computing/#rewilding-the-internet

もちろん、Mozillaは収益の90%は、Googleのデフォルト検索設定の支払いに依存している。いずれGoogleがデフォルト検索の地位を金で買えなくなれば、Mozillaは別の収入源を見つけなければならない。おそらくそれはEUか、財団か、あるいはユーザになるだろう。いずれにしても、Mozillaがユーザの利益を犠牲にすることなく、ユーザのために立ち上がる存在であるのなら、資金調達はずっと容易になるはずだ。

(Image: ICMA Photos, CC BY-SA 2.0, modified)

Pluralistic: The paradox of choice screens (12 Aug 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: August 12, 2024
Translation: heatwave_p2p