以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Better failure for social media」という記事を翻訳したものである。
コンテンツモデレーションは基本的にはソーシャルメディアをより良く機能させるための要素だが、ソーシャルメディアがどのように失敗するかを決定づける2つの要素がある。1つはエンドツーエンド(E2E)、もう1つは離脱の自由(freedom of exit)だ。システムがどのように失敗するかは、どのように機能するかと同程度に重要であるのだが、軽視されがちなのが残念でならない。
もちろん、商業的なソーシャルメディアサイトは良くあろうと望んでいるわけではなく、利益こそが最優先事項だ。ソーシャルメディアのユニークなダイナミズムは、企業に品質と利益とを切り離すことを可能にしている。まったくもって残念でならない。
ソーシャルメディアを成長させるのはネットワーク効果である。あなたはTwitterに参加して、そこにいる人たちと交流し、そして他の人たちもあなたと交流するためにTwitterに参加する。Twitterはユーザが増えれば増えるほどさらに多くのユーザを呼び込むことができる。だが、ソーシャルメディアサイトがその巨大さを維持できるのは、高いスイッチングコストを課しているためだ。ソーシャルメディアサイトを離脱する際に失うものが多ければ多いほど、離脱は困難になる。
https://www.eff.org/deeplinks/2021/08/facebooks-secret-war-switching-costs (日本語訳)
もともとソーシャルメディアにはスイッチングコストが内包されている。主要なものは調整問題――つまり、コミュニティが次の移行先についてコンセンサスを得るための調整コストだ。ソーシャルメディアプラットフォームを共有する友人が多ければ多いほど、このコストは高くつく。10人の友人に夕食のレストランの同意を取り付けようとしたことがあるなら、どれほど面倒くさいかおわかりだろう。だが、この場合はその比ではない。友人全員でこの先の人生を過ごす場を決めるのだから。
だが、このコストは乗り越えられないというわけでもない。結局のところ、ネットワーク効果は諸刃の剣なのである。ネットワークマップの重要なノードが新しいサービス、たとえばMastodonに離脱すると、そのサービスは既存の巨人の後継者とみなされるようになる。
Mastodonが「Twitterに我慢ならなくなった時にみんなで行く場所」という認識が醸成されると、ネットワーク効果の弊害が現れ、諸刃の剣がサービスのユーザベースを切り落とし始める。「今夜はどのレストランに行こうか」という議論と、「友人が食事している新しいレストランに合流するか」という議論はまったくの別物なのだ。
ユーザビジネスを維持したいソーシャルメディアサイトには、絶妙なバランスが求められる。ユーザに嫌われないためには、彼らを丁重に扱い、彼らが見たいと言ったものを見せ、スパイせず、ハラスメントを抑止するためのリソース投入などが求められる。だが、いずれもコストがかかる選択だ。ユーザが見たいと言ったものを見せれば、見たくないものを見せるために企業から広告料を得ることはできない。ユーザをスパイしなければ、興味のないものを強制的に見せたい人たちにターゲティングサービスを売ることもできない。ハラスメントを減らすためのモデレータの人件費は株主の利益を犠牲にし、そのモデレータに野次馬を呼び寄せる収益化可能なアテンションを生む大惨事を未然に防ぐ仕事をさせることになるのだから。
したがって、ソーシャルメディアサイトは常にユーザへの不当な扱いを最適化しようとし、ユーザが離脱するギリギリまで不当に扱い(つまり収益化して)、しかしユーザを崖からは突き落とさないくらいに留めおこうとする。
不満を持ったユーザを引き止める手法の1つは、忠誠心の低いユーザに罰を科すことだ。それゆえユーザのデータ、社会的つながりをロックインしたり、あるいは(競合への離脱がファンの大量離脱の引き金となる重要なネットワークノードである)「クリエイター」であればそのオーディエンスを人質にとる。
支配的なソーシャルメディア企業はいずれも、潜在的に人質をとるような戦略を採用している。Facebookは外部サイトにリンクするコンテンツを降格し、Instagramはプロフィール欄以外にリンクを掲載することを禁止し、TikTokはそもそもリンクを許可してすらいない。いずれも、より良いプラットフォームにオーディエンスを離脱させかねないインフルエンサーにブレーキをかけているのだ。
だが、こうした戦略は不安定さを伴う。あるプラットフォームがユーザにとってひどい場になると(同意を得ずに監視を始め、広告まみれになった、とか)、ユーザは互いにフォローしあい、クリエイターと繋がれる代替プラットフォームを積極的に探すようになる。ライバルとなるプラットフォームが既存のプラットフォームの後継者として登場すると、ユーザはどのライバルに移行すべきかという悩みを抱えずに済むことになる。
このように、プラットフォームのメタクソ化(enshittification)戦略が限界を越えると、ユーザは大量離脱し、そして自暴自棄のプラットフォーム管理者が「公共の広場を提供する」という欺瞞すら保てなくなる時が来る。昨日、イーロン・マスクはライバルプラットフォームへのリンク投稿を禁止するポリシーを発表した。
このポリシーは、ユーザがTwitterを離脱した後に、互いに居場所を教え合えないようにするためのものだ。
この展開は、すでに多くのユーザがTwitterを離脱する理由と次の住処(移行先のプラットフォーム)を告知するメッセージを定期的に投稿していたことに対応している。とりわけ、Twitterの経営者が懸念していたのは、テイラー・ロレンツのようなフォロワーの多いユーザの離脱だ。彼女が罰せられたのは、新たなポリシーが彼女の過去の投稿に遡及的に適用されたためである。
https://deadline.com/2022/12/washington-post-journalist-taylor-lorenz-suspended-twitter-1235202034/
昨年の春、イーロン・マスクはこう語っていた。「競合する2つの社会経済システムのアシッドテスト、どちら側が人々が逃げ出さないように壁を作らねばならないか? 作った方がダメな方だ!」
見識としては凡庸だが、ビジネスの継続に高い障壁と処罰を必要とするシステムが、そのユーザに望ましいものでないことは明らかだ。その場合、ユーザの残留は充足によるものではなく、強要の結果でしかない。もちろん、こうしたシステムの運営者はあらゆる手段でそれを正当化しようとする。
ベルリンの壁は東ドイツ人を閉じ込めるためにあるのではなく、労働者の楽園に来たがる無数の(訳注:西側の)人々を入れないためにあるのだと我々は聞かされてきた。同じように、プラットフォームは競合にユーザが流出するのを防ぎたいから外部リンクやサイドロードをブロックしているのではなく、外部の脅威からユーザを保護するためなんだとうそぶく。
こうした正当化はすぐに擦り切れてしまい、また新たな正当化が行われる。たとえば、友人に退職を伝え、まだどこかで会おうよと言っただけで、「ある企業について話すことは、別の企業の宣伝だ」と見なしてみたり。
https://mobile.twitter.com/mayemusk/status/1604550452447690752
あるいは友人に「マックのメニューは最悪だから、ウェンディーズに行こうよ」と言っただけで、「マクドナルドの敷地内に(ウェンディーズの)広告を出したのと同じことだ」と詰め寄られるかもしれない。
https://twitter.com/doctorow/status/1604559316237037568
あなたに離脱されまいとするサービスは、あなたに奉仕するビジネスではなく、あなたに害をなすビジネスなのである。サービスの周囲に壁をめぐらし、ユーザにスイッチングコストを課す唯一の目的は、あなたに離脱されるリスクを冒すことなく、あなたを欺き続けるためなのだ。
プラットフォームは『屋根の上のバイオリン弾き』のアナテフカ(訳注:舞台となる村)になりたがり、我々はその村民として、もし離脱しようものなら知り合い全員を失うことになるぞと脅されながら、ぬかるんだコサックの道をノロノロと歩き続けるしかないのである。
https://doctorow.medium.com/how-to-leave-dying-social-media-platforms-9fc550fe5abf
だから、離脱の自由が必要なのだ。市民には離脱する権利があり、その離脱に犠牲を強いることを企業に許してはならない。そのような犠牲を許してしまえば、容易に悪用されてしまうのだから。
EUのデジタル市場法は、大手企業にAPIの提供を強制し、小規模なライバル企業がAPIに接続できるようにし、ユーザが大企業から新興プラットフォーム(中小企業、協同組合、非営利団体、趣味のサイトなど)に移行しやすくする。こうした小さなプレイヤーは、まごうことなきフェディバースの一部である。フェディバースとは、ユーザがどのサーバ/サービスを利用しているかにかからわず、相互接続を可能にするソーシャルメディア群を指す。
フェディバースの担い手たちは、離脱の自由を約束する。Mastodonには「フォロワーの移動」と「フォローの移動」という機能があり、あるサーバを離脱して別のサーバに移行しても、フォローしているアカウントやフォローされているアカウントを失うことなく、新天地に連れていけるのだ。
https://codingitwrong.com/2022/10/10/migrating-a-mastodon-account.html
この機能の利点は、それほど知られてはいないように思える。Mastodonへの流出が始まったばかりだからだ。管理者のことをよく知らずにサーバに群がるユーザたちは、今のところサイト運営者とのトラブルにほとんど遭遇していないのである。Mastodonのシステム管理者による小さな権威主義の怖い話が幾ばくかは流布しているが、特定インスタンスの管理者が暴君になったとしても、2つのリンクをクリックし、ソーシャルグラフ全部をエクスポートし、別のインスタンスに登録し、さらに2つのリンクをクリックしてフォロー/フォロワーを復元できること(訳注:要するに簡単に他のインスタンスに移行できるという事実)はさして言及されてはいない。
Mastodonサーバを運営しているからといって、Mastodonサーバの運営に長けているわけではないことを考えれば、この機能はより重要性を増すだろう。イーロン・マスクは邪悪な天才などではない。彼は運良く強大な権力を手にしたが、説明責任をほとんど果たすことのできないただの凡人である。Mastodonの運営者にはマスクのような傾向を持つ人物がいて、そこにユーザが放たれることになる。だが、そこには明確な違いがある。ユーザは2つのリンクをクリックして、別のインスタンスに移行できるということだ。そんじゃーねーーーー!
離脱の自由は、移動の権利だけの問題ではない。労働問題でもある。ネット上のクリエイターは、ソーシャルメディアサービスにとって魅力的な存在だ。ソーシャルメディアサービスはクリエイターにビジネスの機会を誠実に提供して残留を説得するよりも、オーディエンスを人質にしてクリエイターに参加を強要したがる。
プラットフォームは、クリエイターを自社サービスに縛り付けるために様々な戦略を練ってきた。クリエイターがオーディエンスと共に大量離脱するのを難しくしているだけでなく、Audibleのように、DRMを用いてクリエイターのファンが購入したメディアを競合アプリやプレーヤーで再生・読み込みできないようにしたりもしている。
そして、「リーチの自由」の問題だ。プラットフォームは定期的に、クリエイターの作品をレコメンドすることと、クリエイターの作品を明示的に見たいと要求した人々に見せることを欺瞞的に混同している。
https://pluralistic.net/2022/12/10/e2e/#the-censors-pen(日本語訳)
フィードのフォローや購読は、レコメンドシステムに考慮してもらうための「シグナル」ではない。それは命令である。「これを見せろ」と言っているんだ。「こういうのを見せて」と言ってるんじゃない。
私に。
これを。
見せろ。
だが、見たいと言ったものを見せてもお金にはならない。もしAmazonが商品の検索結果を誠実に表示していては、ユーザのお目当ての商品を押しのけてライバル商品を最上位に表示させる「広告ビジネス」で年間310億ドルを稼ぎ出すことはできない。
https://pluralistic.net/2022/11/28/enshittification/#relentless-payola
もしSpotifyが検索したアルバムを聞かせてくれるなら、アーティストがペイオラ(訳注;ラジオDJに自分の曲をかけてもらうための賄賂)を払って入れてもらっているプレイリストにリダイレクトすることはできなくなる。
https://pluralistic.net/2022/09/12/streaming-doesnt-pay/#stunt-publishing
もしあなたが要求したものだけを見せるようにしたら、あなたを「発見(discover)」に引き込むかどうかをKPIとするプロダクトマネージャーは、あなたを誤タップさせて、見たいものから遠ざけるたびにボーナスをせしめられなくなってしまう。
https://doctorow.medium.com/the-fatfinger-economy-7c7b3b54925c
そしてマスクは、Twitter Blueにお金を支払わなければ、あなたはフォローしている人のメッセージを閲覧できなくなると発表した。
https://www.wired.com/story/what-is-twitter-blue/
そして、あなたがフォローしていない人々(そして、その特権のためにペイオラを支払った人々)からの「レコメンド」コンテンツをもっと多く見ることを非同意的に選択したことになるとも発表した。
https://www.socialmediatoday.com/news/Twitter-Expands-Content-Recommendations/637697/
マスクはTwitterをソーシャルメディアではなく、パブリッシャとみなしている。
だからこそ、彼はこのペイオラ/人質詐欺の巻き添え被害には無関心なのだ。たしかにTwitterは著名人や半著名人がオーディエンスに語りかける場ではあるが、そこは主にオーディエンスが互いに語り合う場、つまり公共の広場なのである。
これはまさにFacebookで行われてきたデス・スパイラルだ。あなたがフォローしたはずの人々があなたにリーチするために金を支払わされ、ペイオラによって流れ込む無数のスパムの激流によって、あなたが見たかった人々の発言が埋没してしまう。このような所業は、他人は利用すべきモノ、つまり株価を吊り上げたり、商品を売り込んだりするためのモノと考える人物のビジョンであり、考慮に値しないものなのである。
テリー・プラチェットのグラニー・ウェザーワックスが言ったように。「罪とは、人をモノのように扱うことだ。自分自身も含めて。それが罪というものだ」
Mastodonは完璧ではないが、その欠点は致命的でも永遠に続くものでもない。中央集権的なメディアの方が「使いやすい」という見方もあるが、それはゴキブリホイホイ型ソーシャルメディア(入ったら出られない)の改良に数千億ドルの資金が投入されたからに過ぎない。
それに匹敵する金額が分散型・連合型サービスの改良に費やされるまでは、フェディバースはマス向けにはなりえないと言うのなら、それは反証可能性を欠く動機づけられた推論とみなされるべきだろう。
一方、Mastodonは他のどの巨大ソーシャルメディアも真剣に試みなかった2つのことを正しく行っている。
I. Mastodonで誰かをフォローすると、その人が投稿したものをすべて見ることができる。
II. Mastodonのサーバを離脱しても、自分のフォロワーとフォローしているアカウントの双方を持ち出すことができる。
よく見るMastodonへの批判は、リソース不足で無能で悪意がある可能性のある個々のモデレータに依存しなければならないという批判である。たしかに深刻な問題ではあるが、Twitterが抱えている問題ほど深刻ではない。Twitterが無能だったり、悪意があったり、人員が不足していたとしたら、あなたの離脱には大きな代償が伴うのだから。
Mastodonには、劣悪なモデレーションを許容するか、2つのリンクをクリックして他のインスタンスに移動するかの2つの選択肢がある。
Twitterの場合は、モデレーションを許容するか、あなたが大切にするすべての人と、あなたを大切にするすべての人とのコンタクトを失うかの2択になる。
デジタル市場法(と、今会期成立は難しそうな米ACCESS法)の相互運用性の義務づけは、最大規模のプラットフォームに開放を強いるだけだが、Mastodonは小規模サービスにも相互運用性の有用性をもたらしている。
消費者を公正に扱うことを期待されるべき唯一の基準が「優位性」であってはならない領域はたくさんある。
小さな診療所を営む医師が10人の患者のデータをすべて漏洩してしまえば、100万人の患者を抱える病院システムと同じように、確実に患者に害をもたらす。街の結婚式の写真家が目が飛び出るほどの高額請求を支払わない限り写真の受け渡しを拒否するのは、同様のメソッドを用いる巨大チェーンと同じように、消費者にとって有害なのである。
小規模でコミュニティ指向のソーシャルメディアサーバの領域に移行する過程においても、崩壊しつつあるソーシャルメディアバブルと同じ轍を踏まぬように警戒しなければならない。サービスの規模がどうあれ、そのサービスが我々の離脱を保証し、通信インフラ運営者から干渉されることなく対話できるようにするエンドツーエンドの原則を尊重させねばならないのである。
(Image: Cryteria, CC BY 3.0; Heisenberg Media, CC BY 2.0, modified)
Pluralistic: Better failure for social media (19 Dec 2022) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: December 19 12, 2022
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: Valentin Salja