以下の文章は、電子フロンティア財団の「Bad Content Moderation Is Bad, And Government Interference Can Make It Even Worse」という記事を翻訳したものである。
今週、下院エネルギー・商業委員会は、「言論の自由の保護およびビッグテックの検閲の抑制」と題した公聴会を開いた。出席した議員たちは、このテーマにありがちな誤解を持ち出し、実際にはオンラインの言論の自由を促進する230条を非難した。
だが本当に深刻な問題は、議会や証人のほとんどがこの誤解を共有していたことだ。この誤解の行き着く先は、政府によるオンラインサービスへのユーザの言論の削除や編集などの要請や、民間プラットフォームのモデレーション判断に対する違憲の干渉である。しかも、こうした事態がどれほどの頻度・規模で生じているのか、一般市民にはまったく知らされることもない。
どのようなイデオロギーをもっていようと、我々は常に、政府によって強制されるオンライン上のユーザの言論を検閲を懸念すべきである。これは憲法修正第1条に違反し、世界中の人権を脅かすことになる。政府がオンラインサービスを説得して、有害と思われる言論を削除させようとすることは自由だが、ユーザの言論を削除する選択肢は常にプラットフォーム側になくてはならない。
その意味で議会がプラットフォームと政府の関係を調査するのは正しい。そして、ユーザコンテンツの削除を求める公式の要請について、政府、プラットフォームの双方がいっそう透明性を高めなくてはならない。
コンテンツモデレーションを支える修正第1条と第230条
公聴会の証人の1人、ジェイ・バタチャリア博士は、COVID-19の緩和策について投稿した内容の多くが、政府保健当局の要請により、Twitterによって可視性を下げられていたことを知った。彼のTwitterアカウントへの決定は、当時は彼に説明されず、Twitterのオーナーが変わった後に知らされることとなった。この透明性の欠如は問題である。それゆえEFFのをはじめとする団体は何年も前から、ビッグテック企業に対し、とりわけ政府からの要請に基づいて決定がなされた場合、その決定プロセスについてユーザに明確に説明するよう求めてきた。
キャシー・マクモリス・ロジャース委員長ら一部の議員は、230条こそが検閲の中心にあると主張する。だが、この主張は問題を誤解している。プラットフォームは民間アクターであり、これまで何度も説明してきたように、民間アクターには(たとえビッグテックであろうと)自らが伝えたくない言論を削除する修正第1条の権利がある。スペンサー・オーバートン(法学者)が公聴会で議員らに述べたように、現実には修正第1条が民間企業に「コンテンツを自らが適切と考えるように排除する権利」を与えているのである。
230条は、ビッグテック企業から小規模な企業、そしてユーザに至るまで、第三者のコンテンツを配信したり、そのコンテンツをモデレートしたことによる民事上の責任から保護するものである。
だが、ビッグテックが世論形成に及ぼす影響力を懸念しなくてよいというわけではない。EFFは、競争法や反トラスト法の改正、プライバシー法の策定など、ビッグテックの権力に立ち向かうための合憲的な方法を多数提案してきた。だが、議会が自らの権限を越えた(訳注:違憲な)方法にばかり目を向けている限り、このような残念で非生産的な取り組みに多くの時間を浪費し続けることになる。
政府によるコンテンツモデレーションへの干渉こそが真の脅威である
政府がコンテンツモデレーションに関与できるようになっても、我々がその詳細を知ることはないだろう。とりわけ舞台裏では、いつ何が起こっても不思議ではない。一般に、民間アクターはオンラインコミュニティの管理方法について、自由に決定できるはずだ。政府が何らかの勧告を出すとしても、それは公の場で行われなければならない。だが、どのコンテンツは公開してよく、どのコンテンツが削除されるべきかを形成するために、舞台裏で動くことには問題がある。議会が生産的な議論をしたいのであれば、政府の密かなモデレーション活動を抑制し、たとえ当局の意図が善意に基づくものであろうと、その透明性を高めることにこそ焦点を当てるべきだ。
Bad Content Moderation Is Bad, And Government Interference Can Make It Even Worse | Electronic Frontier Foundation
Author: Ernesto Falcon / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: March 31, 2023
Translation: heatwave_p2p