以下の文章は、電子フロンティア財団の「Sunsetting Section 230 Will Hurt Internet Users, Not Big Tech」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

議会がインターネット上の表現の自由を守る最重要の法律を骨抜きにする準備を進める中、その法律が毎日何百万人もの米国人のオンラインでの表現能力を守り、利益をもたらしていることを無視している。

下院のエネルギー商業委員会は水曜日に、18ヶ月以内に47 U.S.C. § 230(「セクション230」)を終了させる法案の公聴会を開催する。法案の作成者は、セクション230を変更または廃止する期限を設定することで、ビッグテックのオンラインプラットフォームを仲介者責任の新しい体制を作るための交渉のテーブルに着かせることができると主張している

EFFが長年主張してきたように、セクション230は個人のオンラインでの表現、組織化、創作を守るために不可欠である。

かつて議会はセクション230が何をするのかを正確に理解していた。つまり、大小さまざまなウェブサイト上で、あらゆる種類の表現のための基盤を築くということだ。そして、まさにそれがいまのインターネットを支えている。

セクション230は米国の価値観と対立するものではない。むしろデジタル世界において米国の価値観を支えているのだ。人々は自分のコミュニティを見つけ、作り、適切だと思われる方法で管理できる。個人と企業は自分自身の表現には責任を負い、(狭い例外を除いて)他人の表現には責任を負わない。

この法律はビッグテックの盾ではない。重要なのは、ブログ、電子メールサービス、ソーシャルメディアサイトを自力で構築・ホストする資源を持たず、その代わりにサービスに表現をホストしてもらっている何百万人ものユーザが、この法律の恩恵を受けているということだ。また、セクション230は表現をホストする無数の小規模オンラインサービスにも恩恵をもたらしている。見当違いの危険な政策を追求する法案の提案者たちには、こうした人々はまったく見えていない。

将来のインターネット上の表現ルールをビッグテックが定めることになれば、EFFには、現在インターネットユーザを保護し、利益をもたらしているセクション230と同等の状態が維持できるという確信は持てない。議会がインターネット上の表現ルールを本気で書き直したいなら、この法案を破棄し、セクション230が廃止された場合に被害を受けるであろう小規模サービスや一般のユーザの声に耳を傾けるべきだ。

セクション230は普通のインターネットユーザを保護する

下院エネルギー商業委員会のキャシー・マクモリス・ロジャース委員長(共和党・ワシントン州)とフランク・パローン少数党筆頭委員(民主党・ニュージャージー州)が提出した法案は、セクション230に関する誤った仮定と根本的な誤解に基づいている。TechDirtのマイク・マズニックは、共同提案者が犯した多くの間違った前提と事実の誤りをすでに説明している。

マズニックの指摘を繰り返すつもりはないが、その代わりに、共同提案者の主張の中で見落とされがちな点に焦点を当てたい。セクション230が、すべての人のオンライン表現にとって、いかに中心的な役割を果たしているかということだ。

まず、セクション230の文言から始めよう。重要なのは、この法律がオンラインサービスとユーザの両方を保護しているということだ。条文では「いかなるプロバイダまたはユーザも」他者が作成したコンテンツの「パブリッシャ」として扱われてはならないと述べている。これは、人は他人の表現ではなく自分自身の表現に責任を負うべきだという大半の米国人の信念に合致している。

セクション230は、個人のブロガー、電子メールの転送者、他人のコンテンツをオンラインで再共有またはリツイートしたことのあるソーシャルメディアユーザを保護している。セクション230はまた、他人のオンラインコンテンツを削除したりキュレーションする個人のモデレータや、ウェブホスティングサービスの提供者も保護している。

EFFが説明したように、オンライン表現は、根拠のない訴訟の標的になることが多い。ビッグテックはセクション230が廃止されても、そうした訴訟を戦い抜く余裕がある。だが普通のインターネットユーザ、コミュニティフォーラム、小規模企業にはそれができない。Engineは、セクション230がなければ、多くのスタートアップや小規模サービスが、オフラインに追いやられかねない無茶苦茶な訴訟に巻き込まれるだろうと懸念している。

セクション230の廃止はインターネットの悪党に好機を与える

共同提案者は、あまりにも多くのウェブサイトやアプリが「捕食者、麻薬密売人、人身売買業者、恐喝者、ネットいじめ」を取り締まることを「拒否して」おり、セクション230を廃止すれば、これらのサービスが自社サイト上のユーザ生成コンテンツをより適切にモデレーションせざるを得なくなると想像している。

これは真実からあまりにかけ離れた空想だ。議員たちが本当にオンラインサービスが違法行為や不正コンテンツの排除させたいなら、彼らがすべきことは、決してセクション230の廃止ではない。すでに現行法において、規模の大小を問わず、ウェブサイトやアプリに、最悪の行動をするユーザを追放し、オフェンシブなコンテンツを削除し、違法行為の場合は法執行機関と協力してそのユーザに責任を負わせるよう、強く動機づけている。

議会がセクション230を廃止すれば、デジタル化以前のコンテンツ配信に関する法的ルールが適用されることになる。つまり、サービスはユーザ生成コンテンツのモデレーションや、そうしたコンテンツの把握することを強く阻害されることになる。なぜなら、サービスがユーザコンテンツをモデレートすればするほど、そのコンテンツに責任を負う可能性が高くなるからだ。そのような法体系の下では、オンラインサービスは、モデレーションを行わず、悪い振る舞いを見ないよう強く動機づけられることになる。法案の提案者の言葉をそのまま受け取れば、子供や大人をオンラインの有害コンテンツから守るという彼らの目標とは真逆の結果をもたらすことになるだろう。

Sunsetting Section 230 Will Hurt Internet Users, Not Big Tech  | Electronic Frontier Foundation

Author: Aaron Mackey and Joe Mullin / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: May 20, 2024
Translation: heatwave_p2p