以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「They were warned」という記事を翻訳したものである。
現実の真実は固定されたものではない。我々が世界について正しいと考えてきたことは変化し、「これまでずっとやってきた」ことも見直しを迫られることもある。たとえば、ラジウム坐薬の危険性を示す証拠が圧倒的になったとき、腸から速やかにラジウムを取り出して適切に処分する必要があったように。
https://pluralistic.net/2024/09/19/just-stop-putting-that-up-your-ass/#harm-reduction(邦訳記事)
だからこそ、生活様式や経済規制、社会の仕組みについての既存の知恵やベストプラクティスを見直したいと考える人がいるのは、自然なことであり、正しい。だが、それは我々の拠り所とするシステムを安易に捨て去るライセンスを与えるものではない。確かに、それは時代遅れかもしれないし、もはや不要なのかもしれない。だが、そうでないかもしれない。ここで思い出したいのが「チェスタトンのフェンス」である。
簡単な例を挙げよう。道を横切るように建てられたフェンスや門があったとする。現代的な改革者は軽々とそこに近づき、「これの用途がわからない。撤去しよう」と言う。すると、より賢明な改革者は次のように答える。「あなたがその用途を理解できないのなら、撤去は認められない。いったん引き下がって考えなさい。そして、そのフェンスが建てられた本当の理由が分かったと言えるときがきたら、撤去を許可するかもしれない」と。
https://en.wikipedia.org/wiki/G._K._Chesterton#Chesterton’s_fence
つまり、「この原則は私のやりたいことの邪魔だから、取り除いても問題ないはずだ。私が感じている不便さは、この原則を捨て去ることで生じる結果よりもずっと深刻なはずだ」というだけでは不十分なのだ。その原則を取り除いた後、それが防いできた害悪をどう防ぐのかについての理論が必要になる。その理論として「そもそも害悪など想像上のものに過ぎなかった」というのでもいい。邪悪な魔女の呪いから我々を守る対策をすべてなくすなら、「邪悪な魔女も呪いも実在しないのだから、これは安全だ」と言えばよい。
ただし、その確信は絶対的なものでなければならない。というのも、予防措置の中には非常に有効ではあるが、現代を生きる人々は、それが防いできた害悪を誰一人経験したことがない、ということがあるからだ。それゆえ、害悪は想像上のものだとか、誇張されたものだとと誤解されやすい。ワクチン反対派を例に取ろう。彼らは人類に共通の運命などないという世界観に思想的に固執している。つまり、誰も他人の選択に口を出す道徳的な権利はないと考えている。この動機に基づく理屈づけによって、彼らは麻疹――根絶するまで何千年もの間、致命的な感染力で人類を苦しめてきた病――はたいしたことのない病気だったと合理化してしまうのである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Measles:_A_Dangerous_Illness
長年の健康対策を継続すべきか、あるいは終了すべきかを問い直すこと自体は間違っていない。だが、ワクチン反対派による感染症に関する不用意で無謀な論理は、とうてい容認できるものではない。自分の決断が他人に影響を与えないかのような生き方を追求する思想に固執すれば、無数の死と広範な生涯障害が引き起こされることを、彼らは繰り返し警告されてきた。それでも彼らは顧みることなく、健康は純粋に個人的な問題であり、「公衆衛生」は単なる神話か共産主義の陰謀に過ぎないという、ますます空想的な理由づけを編み出していった。
https://www.conspirituality.net/episodes/brief-vinay-prasad-pick-me-campaign
ロバート・F・ケネディー・ジュニアに我々の子どもを麻疹で殺されたり、ポリオで永久的な障害を負わされることになっても、彼は「単に、あらゆる対策の有効性について適切に問いかけただけだ」などとは口が避けても言えない。彼はなぜワクチンというフェンスが存在するのか説明を受け、それを客観的に見れば愚かな理由で無視し、そして子どもたちを死に追いやるのだ。彼は警告を受けていた。
クソったれが。
あるいはビル・クリントン。1933年から1999年まで、米国の銀行はグラス・スティーガル法の下で規制され、「構造的に分離」されていた。この構造的分離の下では、「リテール銀行」――預金や住宅ローンを扱い、小切手帳を発行する銀行――は「投資銀行」になることを許されなかった。つまり、預金者や借り手が経営する事業と競合する事業に投資したり所有したりすることはできず、保険の引受けなど、他の事業分野にも参入できなかった。
グラス・スティーガルは、リテール銀行とカジノ経済を隔てるフェンスだった。そしてそれにはとてつもなく重要な理由があった。かつて銀行を構造的に分離しなかったために、銀行はカジノのように振る舞い、1929年10月のブラック・フライデーに崩壊を迎える巨大な市場バブルを膨らませ、大恐慌の引き金を引いたのだ。議会は銀行が再びこのような事態を引き起こさないよう、構造的分離というフェンスを設けたのである。
1990年代、クリントンはグラス・スティーガルの撤廃を主張し始めた。新しい経済規制があれば、政府は巨大なバブルとその崩壊を防ぐことができると彼は論じた。今度こそ銀行は慎重に行動するはずだと。なぜなら、70年もの間、銀行は分別ある行動を示してきたではないか?
実際にはそうではなかった。規制の制約から逃れる方法を見つけるたびに、銀行は新たな巨大バブルを膨らませ、その崩壊は富裕層をさらに途方もなく豊かにし、一般の預金者の人生を破壊してきた。クリントンが就任したのは、そのような金融セクターの爆弾の1つ――S&L危機――がまさに爆発しようとしているときだった。銀行の規制緩和がまた別の巨大な崩壊につながると考えるべき根拠が、願望的思考を除けば、クリントンにはまったくなかったのだ。
しかし、クリントンは自らの欲望――規制緩和による一時的な経済拡大の陶酔感の中で政権を担いたいという欲望――を、(その後に必然的に訪れる崩壊を警戒する)慎重な判断よりも優先させた。案の定、クリントンの大統領任期の最後の数ヶ月、2000年3月のドットコム・バブルで株式市場は崩壊した。そして議会はドットコム・クラッシュから何も学ばず、グラス・スティーガルのフェンスを元に戻すことを拒否したため、そのクラッシュはさらなるバブル――今度はサブプライムモーゲージ――を生み出し、そして必然的に、我々は金融危機という大惨事を経験することになったのだ。
考えてみてほしい――規制のための規制には意味はない。銀行規制が無用か有害である可能性は概念的にはありうる。70年前のグラス・スティーガル法が1999年の時点でもまだ必要だったのかを検証すること自体は、何ら問題ない。しかし、クリントンはグラス・スティーガルが米国民と経済の混乱の間に立つ唯一のフェンスである理由について、山のような証拠を突きつけられた。その中には、彼が就任したときにまだ進行中だったS&L危機の生々しい証拠も含まれていた。それにもかかわらず、彼はそのすべてを無視した。ドットコム・バブルや金融危機で、家も、貯金も、年金も、すべてを失った人がいるとすれば、その責任はビル・クリントンにある。彼は警告を受けていた。そしてその警告を無視したのだ。
クソったれめ。
いや、本当にクソったれだ。銀行の規制緩和だけが、クリントンの情熱の対象ではなかった。彼は機能する暗号技術そのものを禁止しようとした。クリントンのテック政策の要となったのが「Clipper Chip」だ。これはバックドア付きの暗号化チップで、法律によってすべての技術機器に搭載することが義務づけられることになっていた。もしClipperが実現していれば、警察、スパイ機関、そして警察やスパイを買収し、懐柔し、騙せる者なら誰でも、米国のあらゆるコンピュータ、サーバ、モバイルデバイス、組み込みシステムに侵入できることになっていた。
クリントンは、極めて分かりやすい言葉で何度も何度も警告を受けた――「悪人」の侵入を防ぎ、「善人」がアクセスだけを許可するセキュリティシステムなど作れるはずがないと。我々は彼に説明した。ああ、どれほど熱心に説明してやったことか!機能する暗号化こそが、あなたのペースメーカーのファームウェアとそれを停止させる悪意のあるアップデートとの間の唯一の防壁であり、自動車のアンチロックブレーキと暴走させる悪意のあるアップデートとの間の唯一の防壁であり、企業と産業スパイとの間の唯一の防壁であり、米国とその機密を狙う敵対国家との間の唯一の防壁になるのだと。
クリントンの返答は、暗号戦争で彼の後継者たちが繰り返してきた決まり文句と同じだった。「もっとナードらしくやれ!」というわけだ。とにかく何とかしろ、と。警察は犯罪者の電話を確認する必要があるのだから、性的搾取者から若者を守る暗号化を実現しつつ、警察が容疑者の携帯電話のロックを解除しようとすると消えてなくなるような仕組みを考え出せ、と。マルコム・ターンブル前オーストラリア首相もそうだった。彼は、数学の法則上、彼の求めるような選択的に機能する暗号化の実現は不可能だと指摘されたとき、こう返答した。「数学の法則は大変結構だが、オーストラリアで適用されるのはオーストラリアの法律だけだ」。
クソったれだ。ビル・クリントンもクソったれだ。機能する暗号化を禁止しようとした歴代の英国首相たちもクソったれだ。クソったれどもめ。この問題の重大性は計り知れない。彼らは警告を受けてきた。それなのに彼らの返答は「もっとナードらしくやれ!」の一点張りだった。
https://pluralistic.net/2023/03/05/theyre-still-trying-to-ban-cryptography/
さて、もちろん「暗号[crypto]」と言えば暗号技術[cryptography]のことだが、もう1つの暗号――暗号通貨[cryptocurrency]――についても考えてみる価値がある。暗号通貨の推進者たちは、規制のない通貨発行システム、いわゆる「野良通貨」を提唱している。彼らの主張によれば、中央銀行はもはや必要ない。あるいは、そもそも通貨供給を規制するために中央銀行など必要なかったのだという。このフェンスを取り除こうというわけだ。なぜダメなのか?今の時代には合っていないし、そもそも必要なかったじゃないか、と。
ではなぜ、中央銀行なんてものがあるのか?連邦準備制度(Fed)は――完璧な機関からはほど遠く、抜本的な改革や刷新が必要かもしれないが――野良通貨の時代が悪夢だったからこそ作られたのだ。野良通貨は激しい経済の揺れ動きを引き起こし、巨大な好況とさらに大きな不況を繰り返した。野良通貨こそが、米国人が思い描く廃屋となった幽霊屋敷の原風景を生み出したものだった。米国の街々には、バブルの膨張期に富を築いた金融業者たちが建てた豪邸が点在していたが、その後の崩壊ですべてを失った。
通貨供給の慎重な管理は、好況と不況の波を完全には止められなかったものの、大幅に抑制することには成功した。かつて米国人を恐怖に陥れ、街や生活を破壊し、貯金を吹き飛ばした「景気循環」と呼ばれる現象に、一定の歯止めをかけたのだ。
「分散化」を謳う暗号通貨を売りつける新しい野良通貨セクターが、インサイダーをますます富ませる一方で一般投資家を破滅させながら、巨大な好況と不況の波を生み出していることは、何ら驚くべきことではない。不思議なことに、彼らは自分たちが軽蔑する「法定」通貨との交換に異常な執着を見せているのだが。
ブロックチェーンで野良通貨を安全にできるかどうかという疑問は、もはや解決済みだ。野良通貨は現代でも18世紀や19世紀と変わらないほど危険である。いや、むしろより危険かもしれない。なぜなら、この新しい不良紙幣は、我々の経済だけでなく、地球の生存可能性すら脅かすほどの炭素を無限に消費することに依存しているからだ。
それにもかかわらず、トランプ政権は新しい暗号通貨の黄金時代(というより金ぴか時代か)を約束している。そして2024年の選挙でトランプを政権に押し上げるために数十億ドルを投じた腐敗した暗号通貨業界と、今なお手を組み続ける民主党議員も数多くいる。その結果は必然的により巨大なバブルと破滅的な崩壊をもたらすだろう。クソったれどもめ。彼らは警告を受けていた。それでも強行したのだ。
気候危機と言えば――煙に包まれたロサンゼルスからご挨拶を。私の街は燃えている。これは予測不可能な災害などではなかった。マリブは世界で最も火災の多い場所だ。
https://longreads.com/2018/12/04/the-case-for-letting-malibu-burn/
1919年以来、この地域は「総合火災抑制[total fire suppression]」という方針のもと管理されてきた。この方針は燃料の蓄積という形で「火災債務」を生み出すと科学的に指摘されてからも、この政策は続けられた。火災と火災の間隔が長くなればなるほど、火災はより激しく、より破壊的になる。そしてその関係は単純な比例関係ではない。50年に一度の火災は20年に一度の火災の2.5倍の強さではない――500倍の強さになる。
にもかかわらず、カリフォルニアは計画的な定期焼却にはわずかな投資しかせず、その結果、2年に1度の制御不能な焼却――つまり、どんな計画的焼却よりも何千倍ものコストがかかる山火事――を引き起こしている。
過小投資と言えば――PG&Eは数十年にわたって、投資家への配当と幹部へのボーナスを優先し、高圧送電線の保守をほとんど完全に放置してきた。普通の風が吹いただけでも、これらの送電線は日常的に落下して火災の原因となっている。
しかし、我々が経験しているのはもはや普通の風ではない。気候危機は数十年にわたって着実に深刻化してきた。ロサンゼルスは炎に包まれ、水没し、氷に覆われ、湿球温度で焼かれている最新の街にすぎない。先週、南カリフォルニアでは時速120マイルという猛烈な突風が予想された。
彼らは警告を受けていた。#ExxonKnewだ――1970年代初頭、Exxonの科学者たちは、化石燃料の消費が人類文明を脅かすほどの深刻な気候変動を引き起こすだろうと警告していた。Exxonの対応は?報告書を隠蔽し、気候変動否定論に投資することだった。
彼らは警告を受けていたのだ!火災債務について。送電線について。気候変動について。そして、これらの警告に耳を傾け、災害を防ぐ力を個人的に持っていた特定の人々が、その警告を無視した。しかも、それは単なる過ちではない――警告を無視することで、途方もない富を手に入れたからこそ無視したのだ。その金で彼らは王朝のような富を築き、90万ドルの腕時計をつける超富裕層の世襲貴族たちを生み出した。彼らの富は、我々の苦しみと差し迫った破滅の上に築かれている!
クソったれどもめ。まとめて地獄に落ちろ。
我々には数えきれないほどの機会があった。適切な政策を作るチャンス、少なくとも誤った政策を回避するチャンスが。インターネットのメタクソ化は自然に起こったわけではない。それは予見可能な結果だった――これもまた、周囲の警告をことごとく無視することで莫大な富を手に入れた特定の個人たちによる選択の結果だ。
ビル・クリントンの話に戻ろう。誰よりもクリントンこそが、最悪のテクノロジー規制を主導したからだ。1998年、クリントンはバーニー・フランク(こいつもクソったれだ)が推進したデジタルミレニアム著作権法(DMCA)に署名した。DMCAのセクション1201では、「デジタルロック」を解除することは重罪とされ、5年の懲役と50万ドルの罰金が科されている。
つまり、HPが他社製インクの使用を防ぐためにデジタルロックを使えば、そのロックの解除は文字通り犯罪となる。そのせいで今やHPのインクは1ガロンあたり1万ドルもする。ケンタッキーダービーの優勝馬の精液より高価な色水で、買い物リストを印刷する羽目になっているというわけだ。
https://pluralistic.net/2024/09/30/life-finds-a-way/#ink-stained-wretches(邦訳記事)
クリントンはDMCA 1201はまたたく間にあらゆる機器に浸透するだろうと警告を受けていた。最初はゲーム機やDVDプレーヤーだけだったものが、医療機器、トラクター、自動車、家電製品へと――要するに、マイクロチップを組み込めるものすべてに広がっていくと(ジェイ・フリーマンはこれを「ビジネスモデル重侮辱罪」と呼んだ)。
https://pluralistic.net/2023/07/24/rent-to-pwn/#kitt-is-a-demon
しかし彼はその警告を無視し、とにかくDMCAに署名した(クソったれが)。その後、ブッシュ(こいつもクソったれだ)政権下で、米国通商代表部は世界中を飛び回り、貿易相手国にこの法律の受け入れを迫った(こいつらもクソったれだ)。2001年、欧州議会は屈服し、DMCA 1201をそのままコピペしたような第6条を含むEU著作権指令を制定した(どいつもこいつもクソったれだ)。
それから20年が経った。マイクロチップを搭載した製品には、研究も、説明も、無効化も違法となる賃料搾取用のロジックボムが仕掛けられている。
汽車ポッポにさえも。
昨年、ポーランドのハッカーグループDragon Sectorは、次々と運行不能になるNewag製の列車を抱える公共交通機関から相談を受けた。運営者は、Newagが第三者による保守点検を阻止するために列車を故意に妨害しているのではないかと疑っていた。Dragon Sectorが調査したところ、Newagは本当に列車のファームウェアに大量のブービートラップを仕掛けていたことが判明した。サードパーティの整備工場がある場所に持ち込まれた列車は即座に機能を停止していた(滑稽なことに、この爆弾は列車がその工場の近くの駅を通過するだけでも起爆し、そのため別の鉄道会社はすべての列車からGPSを取り除かざるを得なかった――つまりサードパーティの工場の近くの駅に近づくだけ突然停止しまうからだ)。しかもNewagのロジックボムはあらゆる理由で列車を停止させた――数日間の停車でも機能停止の引き金となり、機関車に他社製部品を取りつけただけでも爆弾が作動して列車は動かなくなった。
Dragon Sectorのメンバーは昨年のカオスコミュニケーション会議の講演で、Newagからの執拗な法的圧力を受けていることについて語った。Newagは、彼らの不正なビジネス慣行を暴露したことが「知的財産権」の侵害にあたるとして、Dragon Sectorを提訴したのだ。さらに彼らは、Newagの悪質なビジネスモデルが広く知られているにもかかわらず、いまだにポーランドで多くの列車を売り続けていると指摘する。、公共交通機関は調達規則に縛られていて、Newagが最安値で入札する限り、契約せざるを得ないのだという
https://media.ccc.de/v/38c3-we-ve-not-been-trained-for-this-life-after-the-newag-drm-disclosure
露骨に腐敗した企業が何百万ドルもの利益を上げ続け、その一方で内部告発者が全財産を失うリスクにさらされる――このような事態をもたらした法律は、まさにこうなることを警告された欧州議会議員たちによって可決された。彼らはその警告を無視し、そして今、その警告通りの事態が起きている。クソったれどもめ、全員地獄に落ちろ。
米国通商代表部の圧力に屈してデジタルロック解除禁止法を制定したのは、欧州の議員だけではない。2010年、スティーブン・ハーパー政権下のカナダ保守党から、2人の大臣が同様の法案を提出した。トニー・クレメント(今や不名誉な性的加害者でPPE詐欺師として知られる)とジェームズ・ムーア(現在は怪しげなホワイトシューの企業弁護士)の2人だ。彼らはこの提案についてパブリックコメントを募った。
6,138件が「取り返しのつかないことになる」と警告を発した。支持したのはたったの54件だった。クレメントとムーアは6,138件の反対意見を完全に無視した。ムーアはその理由をこう説明した――それらは「過激派」の「子供じみた」意見だと。法案は2012年に可決された。
昨年、カナダ議会は修理する権利とシステム間の相互運用性の権利をカナダ国民に保証する法案を可決した。しかし皮肉なことに、カナダ国民はこれらの権利を行使できない。そうするためにはデジタルロックを解除する必要があるが、それが違法だからだ。これもトニー・クレメントとジェームズ・ムーアのおかげである。彼らは警告を受けていた。そして無視した。クソったれどもめ。
https://pluralistic.net/2024/11/15/radical-extremists/#sex-pest
1990年代、ビル・クリントンはインターネットを規制する提案を山のように持っていた。しかし、その中に消費者のプライバシーを守る法律は1つもなかった。米国大統領が最後に消費者プライバシー法に署名したのは1988年のことだ。レーガンがビデオプライバシー保護法に署名し、ビデオ店の店員が客の借りたVHSカセットについて新聞にリークする心配をしなくて済むようにしたのが、最後だった。
その後、議会は消費者プライバシー法を1つも制定していない。完全にゼロだ。この法的空白が、規制のないデータブローカー産業をがん細胞のように米国社会全体に撒き散らした。この産業は、ストーカーや差別的採用・金融アルゴリズムを支え、「うつ病の10代」「認知症の高齢者」「ギャンブル依存症の軍人」といったカテゴリーを広告主がターゲットにできるアドテク業界を生み出した。
市民がプライバシー保護を求めて声を上げると、議会――そして彼らに金を流す監視産業のロビイスト――はプライバシー法など必要ないと言う。市場が解決してくれるはずだと。人々は自発的にプライバシーを手放しているのだから、「同意する」ボタンをクリックした後に企業があなたを監視することを禁止するのは、あなたの「契約の自由」への「不当な干渉」ではないか、と。
これらの人々は、無規制のプライバシー状況が、労働者、市民、コミュニティの一員、そして消費者としての米国民にもたらす深刻な危険について、繰り返し警告を受けてきた。それでも何1つ行動を起こさなかった。クソったれどもめ、一人残らずだ。
https://pluralistic.net/2023/12/06/privacy-first/#but-not-just-privacy
ところで、止まった時計でも1日に2回は正しい時を示すように、ビル・クリントンのインターネット政策のすべてが悪かったわけではない。たった1つの優れた政策があった。そして皮肉なことに、その政策こそが最も解体の危機にさらされている。その政策とは、通信品位法(CDA)のセクション230だ(この法律は他の部分があまりにもひどかったため、裁判所によって無効化された)。おそらく、あなたはセクション230の歴史や用途、文言について系統的に誤解されているだろう。これは驚くべきことだ。それはたった26語で、1つのツイートに収まるほど短いのだから。
インタラクティブなコンピュータサービスのプロバイダまたはユーザは、別の情報コンテンツプロバイダによって提供された情報の発行者または発言者として扱われてはならない。
セクション230が制定されたのは、企業がユーザの発言に責任を負わされた際、その「解決策」として議論のすべてをブロックしてしまったからだ。セクション230がなければ、Black Lives Matterも#MeTooも存在しえなかった――権力者に責任を問うことのできるオンラインスペースは消滅していただろう。その一方で、富と権力を持つ者たちは、自分たちやその取り巻きが思いつく限りのとんでもな主張を発信できるプラットフォームを維持し続けただろう。彼らがそのプラットフォームを所有しているからか(そう、TwitterやTruth Socialのように)、あるいは大規模システムのコンテンツモデレーション官僚制を切り抜けるための専門家のアドバイスを受けられる財力があるからだ。
プラットフォームがユーザの発言に民事責任を負うインターネットの姿を、我々は熟知している。それは、社会の周縁に追いやられた無力な人々が沈黙を強いられ、彼らの喉元に靴を押し当てる者たちの声だけが響き渡る空間だ。
この教訓はAOLとProdigyの時代に限られたものではない。2018年、トランプはSESTA/FOSTAに署名した。これは「性的人身売買」についてプラットフォームに責任を負わせる法律だ。この法律を推進した人々――たとえばアシュトン・カッチャー(性暴力と戦うキャンペーンを展開する一方で、友人の性暴力事件では判事に寛大な処分を求める男)のような連中――は、この法律がオンライン上のすべての合意に基づくセックスワークの息の根を止め、セックスワーカーの生活をはるかに危険にすることを警告されていた。この警告は瞬く間に現実となり、以来毎月のように繰り返し立証されている。CDA 230からセックスワークをを除外した結果、ピンプ(売春斡旋者)が復活し、セックスワーカーは重大な身の危険にさらされ、極めて厳しい経済状況に追い込まれた。
https://decriminalizesex.work/advocacy/sesta-fosta/what-is-sesta-fosta/
さらに、この法律により、性的人身売買や非合意の性的行為はプライベートフォーラムに潜り、法執行機関による監視や介入ができなくなった結果、人身売買の加害者の検挙はさらに困難になってしまった。
これはまさにSESTA/FOSTAの推進者たちが警告されていた結果だ。彼らは警告を受けた。それでも強行した。クソったれどもが。
プラットフォームにユーザの発言について民事責任を負わせる方法について、あなたなりの理論があるかもしれない。SESTA/FOSTAと同じように社会的に弱い立場にある人たちを傷つけることなく、それを実現できると。しかし、それには「プラットフォームは邪悪な独占企業で、CDA 230は彼らに都合のいい法律だ」以上の説明が必要だ。確かに、彼らは邪悪な独占企業だ。確かに、CDA 230は彼らに都合がいい。しかしCDA 230がなければ、小規模なフォーラム――個人の掲示板や、Mastodonのサーバー、Blueskyといったサービス――はまったく運営できなくなってしまう。
マーク・ザッカーバーグがCDA 230の廃止を求める理由は、Facebookをデジタルの墓場に送りたいからではない。ザックは、CDA 230無き世界でもFacebookが生き残れることを知っている。議論の余地のある発言を自動的に削除すればいいだけだからだ。そして彼は、Facebookの支配的地位を「崩す」可能性のある小規模なサービスが、CDA 230の廃止によって即座に消滅することも知っているのだ。
ビッグテックと戦う多くの同志たちが、ザックの水先案内人として踊らされ、CDA 230の廃絶を要求している現状は、私の心を深く痛ませる。切に願う――そのフェンスを取り除いた先に何が待っているのか、その証拠を見てほしい。警告に耳を傾けてほしい。ビル・クリントンや、カリフォルニアの消防官僚、ジェームズ・ムーアとトニー・クレメント、欧州議会、米国通商代表部、暗号通貨の狂信者たち、マルコム・ターンブルの二の舞は避けてくれないか。
そして何より、クソったれアシュトン・カッチャーのような真似だけは。
だってそうだろう、クソったれどもじゃないか。
Pluralistic: They were warned; Picks and Shovels Chapter One (Part 4) (13 Jan 2025) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: January 13, 2025
Translation: heatwave_p2p