以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「It’s been twenty years since my Microsoft DRM talk」という記事を翻訳したものである。
今週のポッドキャストでは、20年前に反響を呼んだMicrosoft ResearchでのDRMに関する講演を振り返った。2004年6月17日の講演だ。今回はそのテキストを朗読し、20年を経た今日の視点から、その影響を再評価してみた。
https://locusmag.com/2021/09/cory-doctorow-breaking-in/
あれから20年(と1日)が経った。初めての講演ではなかったが、当時としては最もうまくいった講演だった。まだ講演の仕方を模索していた時期で、言い方や表現方法をあれこれ試していた(今読み返すと、ブルース・スターリングの影響が色濃く出ている。これは今でも変わらないが)。
SFコンベンションに参加し、基調講演やパネルディスカッションを見て、メモを取りながら講演の仕方を学んだ。特にハーラン・エリスンの話術には感銘を受けた。彼の講演は何度も聞いた。ジュディス・メリルも、私や他の多くの作家にとって素晴らしい師匠だった。
https://locusmag.com/2021/09/cory-doctorow-breaking-in/
参加したり手伝った政治集会での演説者たちからも大きな影響を受けた。毎年の労働デーパレードの演説から、核拡散反対や中絶権擁護のデモまで、様々な集会に関わってきた。子供の頃、トロントで聞いたヘレン・カルディコットの講演も鮮明に記憶している。そのときは受付のボランティアをしていたように記憶している。
https://www.helencaldicott.com/
90年代後半、ドットコム・ベンチャーを立ち上げたとき、パートナーと一緒にステージでスピーチすることになった。サンフランシスコのコンサルタントに高い金を払って2時間ほどスピーチの指導を受けたが、覚えているのは「できるだけ聴衆の目を見て、メモを読み下げないように」というアドバイスだけだ。確かに良いアドバイスなのだが、なんとも当たり前すぎる。
訓練のきっかけは、2001年の初のO’Reilly P2Pカンファレンスでのプレゼンだった。何を話したかはよく覚えていないが、ティム・オライリーに印象を与えたことは覚えている。当時も今も、それは私にとって大きな意味があった。
https://www.oreilly.com/pub/pr/844
Microsoft Researchでの講演に誰が声をかけてくれたのか、はっきりとは覚えていない。たぶんマーク・スミスだろう。彼は当時、Usenetのアーカイブをデータマイニングしてソーシャルグラフを研究していた。この仕事は一石三鳥を狙ったものだった。講演に加えて、その年のComputers, Freedom and Privacyカンファレンスに参加し(たぶん講演もした)、開館間近のSci Fi Museum(現在のMuseum of Pop Culture|訳注:ポール・アレンが設立)の先行内覧会にも参加することになっていた。そこでニシェル・ニコルズに会えたのだが、興奮のあまり口が滑ってしまい、彼女のスターウォーズのテーマ曲のボーカルを絶賛してしまった。今でも恥ずかしさで耳が真っ赤になる。彼女はさすがプロで、「スタートレックのことね」と優しく訂正してくれた。
https://music.youtube.com/watch?v=4IiJUQSsxNw&list=OLAK5uy_lHUn58fbpceC3PrK2Xu9smBNBjR_-mAHQ
この旅の始まりは、Microsoft Researchでの講演だった。実は以前にもMicrosoftのキャンパスを訪れたことがあった。私が立ち上げたスタートアップをMicrosoftが買収しようとしたときだ。ところが、それがきっかけで投資家たちが創業者を締め出し、我々の株式を奪おうとした。そのゴタゴタでMicrosoftとの話は流れてしまった。当時は悔しかったが、今思えば難を逃れたと思う。なんせ、私がMicrosoftでDRMエバンジェリストとして働くという条件がついていたのだから。まさに人生の分かれ目だ。
この講演は、EFFの一員としてMicrosoftを訪れる初めての機会だった。講演前に顔合わせがあり、その後満員の会議室で話をした。活発で(概ね友好的な)質疑応答もあった。MSRは当時も今も、Microsoftの中でも自由な雰囲気の部門で、面白い人たちが素晴らしい研究をしていた。
実際、私が出会ったMicrosoftの従業員は、ほとんどが善良で優秀で熱心な人たちだ。にも関わらず、Microsoftが一貫してろくでもない製品と不誠実なビジネス慣行を生み出し続けているという事実は、腐敗した組織がいかに個々の構成要素の総和以下になり得るかを物語っている。
私はロナルド・コースの「企業の理論」を全面的に支持している(彼の他の見解についてはそうでもない)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Theory_of_the_firm
コースによれば、組織が存在する理由は、低い「調整コスト」で協力しあえるようにするためだ。例えば、二人でセーターを編むなら、お互いが左袖を作らないよう調整しなければならない。組織を作るのは(マフィアだろうと、カトリック教会、Microsoft、企業、協同組合、地方のSF大会の運営委員会だろうと)、そういったコストを最小限に抑えるためだ。
2002年にヨハイ・ベンクラーが指摘したように、インターネットの最もクールで革命的な点は、より小さく、より柔軟な組織で、より複雑な共同作業ができるようになったことだ。
https://www.benkler.org/CoasesPenguin.PDF
これが私の小説『Walkaway』の着想につながった。「WikipediaやLinuxカーネルのような(比較的)軽い組織的負担で、高級ホテルや宇宙開発プログラムを作れたらどうだろう?」という問いかけだ。
https://crookedtimber.org/2017/05/10/coases-spectre/
だからこそ、組織の構造は極めて重要である。同時に、「良い会社」と「悪い会社」があるという考えはずいぶんと疑わしい。中小企業や家族経営の会社、金融セクターの影響を受けにくい企業は、確かにリーダーの個性を反映することがある。しかし、企業自体に個性を当てはめるのは大きな間違いだ。
そういった考え方が、「Appleは有料サービスを重視するから良い会社で、Googleは監視で金を稼ぐから悪い会社だ」という愚かな発想を生む。実際、Appleだってできるならあなたを監視したいのだ。
https://pluralistic.net/2022/11/14/luxury-surveillance/#liar-liar
ディズニーとフォックスも、MPAの会議室で見つめ合う恋するロミオとジュリエットなんかじゃない。いずれも巨大上場企業で、両社の違いなど取るに足らない。違いがあると思っているなら、マーケティングが作り出した神話にすぎない。
最高幹部の個性は確かに重要だ。例えば、マクドネル・ダグラスのサイコパスたちに乗っ取られたボーイングの凋落を見れば分かる。しかし、その影響力は、競争と規制が企業に課す制約に比べればはるかに小さい。つまり、クソ野郎でも、公正な価格で倫理的に優れた製品を提供する会社を経営できる。ただし、そうしなければ失う事業と罰金のコストが、不正から得られる利益を上回る場合に限る。
https://pluralistic.net/2024/05/24/record-scratch/#autoenshittification
Microsoftはド級のクソ野郎たちによって設立され、経営されてきた企業だ。ビル・ゲイツは化け物で、周りに化け物を集め、さらに化け物たちを雇って鉄壁の企業を作り上げた。
Microsoftから良いものが生まれる領域――いくつかのゲーム製品や珍しいハードウェア、MSRの重要な論文など――は、いずれもリーダーシップのおかげではなく、むしろそのリーダーシップにもかかわらず生まれたものだ。それは競争と規制が課した制約の結果であり、だからこそMicrosoftは競合他社を排除し、規制当局を取り込むという攻撃的な戦略を追求してきた。
振り返ってみると、あの講演での私の目標の一つは、腐った組織で良い仕事をしている人々に、別の場所で別のことをするよう説得することだったのかもしれない。今でも講演ではそれを追求している。当時も、Microsoftの著名な技術者たちの何人かが、同社がフリー/オープンソースソフトウェアに仕掛けた戦争に抗議して退職していたので、だいそれた目標というわけでもない。
https://web.archive.org/web/20030214215639/http://synthesist.net/writing/onleavingms.html
予想外だったのは、自分のサイトに講演を公開し、Boing Boingでブログを書いたことで、その日にMicrosoftで聴講した人たちよりも桁違いに多くの人々にメッセージが届いたことだ。当時まだ新しかったCreative Commons Public Domain Declaration(後に法的問題のためCC0マークに置き換えられた)を使って、講演をパブリックドメインにしたこともいいように作用したのかもしれない。
https://web.archive.org/web/20100223035835/http://creativecommons.org/licenses/publicdomain
講演の内容、時代の空気、そして広く開かれたライセンスの目新しさが相まって、大きな反響を呼んだ。ジェイソン・コトケがオーディオ版を録音し、アンディ・バイオがホストを務めてくれた。
https://kottke.org/04/06/cory-drm-talk
私の素っ気ないASCII形式の原稿は、マット・ホーイとアニル・ダッシュによってすぐさま美しいHTMLに生まれ変わった。
https://web.archive.org/web/20040622235333/http://www.dashes.com/anil/stuff/doctorow-drm-ms.html
印刷したい人のために、パトリック・ベリーが印刷用のスタイルシートを用意してくれた。
https://patandkat.com/pat/weblog/mirror/cory-drm/doctorow-drm-ms.html
複数の人がオーディオ版を録音し(販売まで!)、さらにファンたちが様々な言語に翻訳してくれた。デンマーク語、フランス語、フィンランド語、ドイツ語、ヘブライ語、ハンガリー語、イタリア語、日本語、ノルウェー語、ポーランド語、ポルトガル語(欧州とブラジルの両方)、スペイン語、スウェーデン語だ。翻訳者の何人かとはその後も連絡を取り続け、国連WIPOの会議のために書いたポジションペーパーの翻訳を手伝ってもらった。この文書が効果的すぎたせいか、著作権ロビー団体の悪党どもが盗み出して国連のトイレに隠すという珍事(!)まで起こった。
https://web.archive.org/web/20041119132831/https://www.eff.org/deeplinks/archives/002117.php
日曜、ポッドキャスト用にこの講演を読み返したとき、時代遅れな部分に驚くだろうと思っていたし、確かにそういった箇所もあった。だが、それ以上に目立ったのは、この講演から他の反響を呼んだ講演へと続く共通のテーマだった。例えば、2011年にCCCで行った「汎用コンピューティングに対する戦争」の講演。
https://memex.craphound.com/2012/01/10/lockdown-the-coming-war-on-general-purpose-computing/
それから、敵対的相互運用性に関する私の研究。
https://www.eff.org/deeplinks/2019/10/adversarial-interoperability
そして、最近の「メタクソ化」に関する研究。
つまり、20年以上にわたって、私は同じことを――形を変えながら――言い続けてきた。ともすると落胆しそうなものだが、私にはむしろ励みになった。20年前、インターネットが企業や政府に乗っ取られ、監視と管理のシステムに変質してしまうのではないかという恐れから、私は過激化した。そしてEFFで働くようになり、コーダー、弁護士、活動家など、様々な分野の仲間たちとこの力に立ち向かった。
当時、これはメインストリームからかけ離れた活動だった。フェミニズム、反戦、反人種差別、環境保護、労働運動など、私が成長の過程で見てきた伝統的な活動家たちは、デジタルライツを気晴らし程度のものとみなし、その支持者たちを、スタートレック掲示板の管理を巡る揉め事を市民権運動と勘違いした哀れで自己中心的なオタクだと一蹴した。
https://www.newyorker.com/magazine/2010/10/04/small-change-malcolm-gladwell
当時、自分は正しいと確信していたし、その正しさは歴史が証明したと思う。公の場で、そして政治運動の内部で闘い続けるのは、手遅れになる前に人々を動かすためだ。時々刻々と、インターネットはより良い世界を目指す政治活動が難しい場所になっている。監視は強まり、管理は厳しくなる。私は当時も、そして今も、インターネットが他の闘争より重要だとは思ってはいない。しかし、その闘争にとってインターネットが必要不可欠であるのは間違いない。
地球を救い、家父長制を打破し、専制政治を打倒し、労働者を解放する。これらの闘いはすべて、インターネット上で――コースの理論どおりに――調整される。自由で公平でオープンなインターネットがなければ、これらの闘いに勝つのは途方もなく難しくなる。
デジタルライツを理解させ、関心を持たせ、そのために闘わせること。これは短距離走ではなく、マラソンだ。私がEFFに加わったとき、EFFにはすでに12年の歴史があった。当時はたった6人の組織で、私が7人目だった。今では100人以上になったが、それでも手一杯だ。インターネット政策があらゆる闘争のあらゆる側面と交差するという30年以上前のアイデアは、完全に正しかったことが証明された。
2004年、私はMicrosoftに尋ねた。「なぜ反トラスト法執行では米国政府と死ぬ気で戦うのに、エンターテインメント業界のDRM要求にはヘタレなんだ?」と。20年後の今、その答えが分かった気がする。Microsoftは、DRMを通じてクリエイター、エンターテインメント企業、オーディエンスの関係を簡単に乗っ取れることを理解していたのだ。独占力を探し出し、それを利用する彼らの完璧な本能が、意図的に欠陥のある製品を作らせ、市場支配力を使ってそれらの製品を私たちの喉に押し込めると信じさせたのだ。
https://memex.craphound.com/2004/01/27/protect-your-investment-buy-open/
ポッドキャストのエピソードはこちらから。
https://craphound.com/news/2024/06/16/my-2004-microsoft-drm-talk
MP3ファイルへの直リンクはこちら(Internet Archiveのご厚意によるホスティング。彼らは無料で永久に情報をホストしてくれる)。
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Pluralistic: It’s been twenty years since my Microsoft DRM talk
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: June 18, 2024
Translation: heatwave_p2p