以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Social media needs (dumpster) fire exits」という記事を翻訳したものである。
火災を防ぐために当然あらゆる対策を講じるべきだが、どれほど対策を講じても燃え上がることはある。だからこそ非常口を設置しなければならない。それはソーシャルメディアサイトも例外ではない。
ソーシャルメディアには独特のロックイン(囲い込み)効果がある。我々はソーシャルメディアを通じて友人、家族、コミュニティのメンバー、視聴者、同志、顧客――つまり愛し、頼りにし、気にかける人々とつながっている。人々を一カ所に集めれば途方もない力が生まれる。デモを計画したり、資金を集めたり、イベントを企画したり、運動を起こしたりと、人が集まれば何かを成し遂げられるからだ。人々を引き寄せるソーシャルメディアは、さらに多くの人々を引き寄せていく。サービスのユーザが増えれば増えるほど、参加する理由も増えていく。そして一度参加すれば、あなた自身が誰かの参加理由となる。
経済学者はこれを「ネットワーク効果」と呼ぶ。ユーザが増えるほど価値が高まるサービスは、この「ネットワーク効果」の恩恵を受けている。しかしネットワーク効果は罠でもある。人々をつなぐことで成長するサービスは、抜け出すのが次第に難しくなっていくからだ。
その背景にあるのが「集合行動問題」だ。我々は友人たちと何かをしようとする時、常にこの問題に直面する。友人のことは大好きだが、まったく面倒なものである。ボードゲームを選ぶにせよ、映画を見るにせよ、その後どこで一杯飲むかを決めるにせよ。まさに地獄とは他人のことだ。具体的には、あなたが愛してはいるものの、あなたのやりたいことに同意してくれない人々のことである。
ネットワーク効果によってソーシャルメディアに参加し、集合行動問題によってそこに留まり続ける。それでも離れようとすれば、「スイッチングコスト」が生じる。スイッチングコストとは、ある製品やサービスを離脱して別のものに移行する際に失うものすべてを指す。ソーシャルメディアサービスを離れれば、そこで頼りにしていた人々とのつながりを失うことになる。
ソーシャルメディアの経営者たちはこれを熟知している。彼らは広告、ブーストされたコンテンツ、不十分なモデレーション、過剰なモデレーション、AIのスロップ(粗悪なコンテンツ)などでユーザに課すコストが、サービスを離脱する際のスイッチングコストよりもほんの少しだけ小さくなるよう、メタクソ化を進めるゲームに興じている。ユーザ体験を劣化させて企業の利益を増やすが、ユーザが出ていってしまうほどひどくはしない、これがソーシャルメディアの収益最大化戦略だ。
サイト上の人々を愛し、必要としているほど、離脱は困難になり、サービスはさらに質を落とすことができる。
なんという呪いだろうか。
しかしデジタル技術には解決策がある。コンピュータは驚異的で奇跡的な柔軟性を持っており、サービスからサービスへの非常口を作り出すことができる。それがあれば、サービスが燃え盛るゴミ捨て場と化したとしても、非常ボタンを押して別のより良いサービスへと避難できるのだ。
例えば2006年、Facebookが門戸を開放した時――つまり.eduアドレスを持つ大学生だけでなく誰でも参加できるようにした時――彼らは、ソーシャルメディアに関心を持つ大多数の人々がすでにMyspaceアカウントを持っていることを理解していた。Myspaceは前年、メタクソ化の名手であるルパート・マードックに売却されていた。Myspaceユーザは逃げ出したがっていたが、お互いを人質に取り合う状態に陥っていた。
この人質状況を解決するため、FacebookはMyspaceユーザに向けて、MyspaceのログインとパスワードでMyspaceにログインし、取り残された友人たちが投稿したメッセージをすべてスクレイピングする成りすましボットを提供した。これらのメッセージはFacebookのインボックスに表示され、返信すると、ボットが再びMyspaceにあなたとしてログインし、自動的にそれらのメッセージをアウトボックスに送信して、友人たちに届けられた。
つまり、スイッチングコストはゼロだった。Myspaceを使わなくても、Facebookを使いながらMyspaceの友人たちと会話を続けることができた。スイッチングコストがないなら、集合行動問題も発生しない。全員が一斉に離れる必要はなく、一人二人とMyspaceからFacebookへと移行しながら、お互いにつながり続けることができた。
もちろん、その小さな流れはすぐさま洪水となった。ネットワーク効果は諸刃の剣だ。あるサービスに留まっている理由がそこにいる人々だけなら、その人々が去ってしまえば、留まる理由は何もない。人類学者のダナ・ボイドは、これを内部から観察することができた。Myspaceのバックエンドで、グループ全体が一斉に退出していく様子を見ていたのだ。
感情的な粘着性を持つノードが消えていくのを目にし始めた時、私はMyspaceチームのメンバーに連絡して懸念を伝えた。しかし彼らは数字上は問題ないと言った。アクティブユニークは高く、サイトでの滞在時間は伸び続けており、アカウントが閉鎖される速度よりも新しいアカウントが作られる速度の方が速かった。私は首を振った。それでは不十分だと考えたからだ。数ヶ月後、サイトは崩壊し始めた。
https://www.zephoria.org/thoughts/archives/2022/12/05/what-if-failure-is-the-plan.html
ソーシャルメディアの経営者たちは非常口という考えを嫌悪している。ソーシャルメディアをメタクソ化する連中にとって、ゴミ捨て場の火災は機能であってバグではない。ユーザが熱を感じた瞬間に逃げ出せるようでは、どうやって生きたまま焼き上げられるというのか。
Facebookは同意なしにMyspaceにハッキングして非常口を作り、ルパート・マードックの人質たちを全員解放した。非常口は競合他社にとって大きなチャンスだった――少なくとも「知的財産権」と呼ばれる寄せ集めのルールが、FacebookがMyspaceにしたことを他社がFacebookにすれば重罪となる地雷原と化すまでは。
https://locusmag.com/2020/09/cory-doctorow-ip/
イーロン・マスクがTwitterに火を放った時、人々は非常口へと殺到した。最初に避難所として選ばれたのはMastodonで、Twitter難民たちがMastodonでネットワークを再構築するのを手助けする、さまざまなサードパーティの友人検索サービスが登場した。Twitterを去るユーザは、自分のMastodonユーザ名をプロフィールに記載するだけでよかった。友人検索サービスはTwitter APIを使ってフォローしている人全員のプロフィールを取得し、自動的にそのMastodonアカウントをフォローしてくれた。数週間の間、私は友人検索サービスを数日おきに実行し、Fediverseで数十人、時には数百人の友人を発見していった。
そしてイーロン・マスクはAPIを遮断した――非常口を封鎖したのだ。しばらくの間、マスクは「言論の絶対的自由主義者」を自称しながら、プラットフォーム上でMastodonアカウントについて言及したTwitterユーザのアカウントを凍結した――燃え盛る劇場で「非常口に向かえ!」と叫んだという理由で、何百万人もの人質を追放したのだ。
Mastodonは非営利の分散型サービスで、オープンな標準規格の上に構築されている。誰でもMastodonサーバを運営でき、サーバ同士が互いに通信する。これは電子メールのようなもので、たとえばGmailアカウントでOutlookアカウントを持つ友人とコミュニケーションできる。しかし電子メールサーバを変更する際は、連絡先リストの全員に手動でメールを送って変更を知らせる必要があるのに対し、Mastodonには自動転送サービスがあり、フォローしている人全員とフォロワー全員を新しいサーバに切り替えてくれる。これは携帯電話の番号ポータビリティに似ている。VerizonからT-Mobileに乗り換えても電話番号は変わらないので、友人は自分の電話がどのネットワークかを気にしなくても、ただ電話をかければ繋がる。
この自動ポータビリティを備えた分散化こそ、究極の非常口だ。サーバがゴミ捨て場の火事と化しても、別の場所に移動すれば社会的なつながりを一切失うことなく、そこから離脱できる。数回クリックするだけで、より信頼できる、より好ましい管理者が運営するサーバに移行できる。現実世界の非常口と同様、この非常口も緊急時以外に使える――たとえば、より高速なサーバ、より気の合うユーザがいるサーバ、よりクールな名前のサーバに移りたい場合もある。クリック、クリック、クリックで新しい場所に移動できる。考えが変わった?問題ない――クリック、クリック、クリックで元の場所に戻れる。
これはゴミ捨て場の火事から身を守るだけでなく、難燃剤としても機能し、火災を起こりにくくもしてくれる。サーバ管理者が何らかの怒りを感じたとしても(誰にでもそういう時はある)、ユーザに愚かで不快な行為をすれば、ユーザが非常口から逃げ出せることを知っている。その認識は、激高して暴走するのを防ぐ、冷静な内なる声を大きくする。そしてもし管理者がその声に耳を傾けなければ? 問題ない。非常口は出口として機能する――管理者を落ち着かせるためだけのものではないのだ。
どんな公共施設だろうと、非常口が設置されていなければならない。非常口が義務化されるずっと以前から、それは広く認識された良きアイデアであり、多くの人々が自主的に設置していた。しかしトライアングル・シャツウェスト工場火災のような惨事を経て、非常口は法的に義務化された。今日、EUのデジタル市場法は、大規模プラットフォームに相互運用可能なAPIを構築する義務を課している。これによりユーザは、残された人々とのつながりを失うことなく、サービスを離脱して競合他社に移行できる――これは世界初のオンラインプラットフォーム向けの非常口規制だ。
これが最後の規制にはならないだろう。カリフォルニア州のCCPAのような既存のデータ保護法は、ユーザに自分のデータのコピーを要求する権利を与えている。これは、Mastodonサーバのホストに対して、ユーザが別のサーバに移行するために必要なデータファイルを提供する義務を課していると解釈できる。これはEUのデジタル市場法の対象となる巨大企業(同法では「非常に大規模なオンラインプラットフォーム」または「VLOP」と呼ばれる――間違いなく私の好きな奇妙なEU官僚用語だ)だけでなく、CCPAはカリフォルニア州でホストされているほぼすべてのサーバと、おそらくカリフォルニア州のユーザを持つすべてのサーバに適用される。
もちろん、それでいい! 小さなコーヒーショップや3つの机しかないオフィスであろうと、非常口の設置を義務づけるのは、その設置と維持のコストが小規模ビジネスや非営利団体、趣味の活動を逼迫するほど高額でない限り、まったく問題ない。ユーザのデータファイルを提供する義務は、耐え難いほどのコンプライアンス負担にはならない――結局のところ、そのファイルをエクスポートする機能はMastodonに組み込まれているので、Mastodonサーバの運営者がコンプライアンスを満たすために必要なのは、その機能をオフにしないことだけだ。さらに、Mastodonサーバの運営者がユーザにファイルを提供したかどうかについて争いが生じたなら、単にサーバの運営者にファイルの再送を依頼するか、極端な場合は、規制当局にファイルを提供してもらい、規制当局がユーザに渡すことで解決できる。
これは見事な非常口の設計だ。非常口は建物を燃えにくくする代替手段ではないが、建物の所有者が消火にどれほど熱心であっても必要不可欠だ。プラットフォームのコンテンツモデレーションに人々が怒りを感じるのは当然のことで、しかも大規模モデレーションは事実上不可能だ。
不適切なモデレーションがもたらす苦痛は、決して平等には分配されない。最も深刻な影響を受けるのは、往々にして社会的な力を持たないマイノリティであり、彼らは組織的なハラスメントキャンペーンを展開する多数の悪意ある行為者の標的となっている。皮肉なことに、彼らは平均的なユーザよりも(社会的に不利な立場にあり、不当な扱いを受け、標的にされているため)互いの支援を必要としており、プラットフォームの離脱によって互いを失う際のコストも高くなる。つまり、モデレーションの失敗による最大の被害者こそが、ビジネスに影響を与えることなく最も虐げられる相手なのだ。
これは「屋根の上のバイオリン弾き」問題だ。確かに、アナテフカの村人たちは15分おきにコサックから散々な暴力を受けているが、シュテトルを離れれば、持っているものすべてを失ってしまう。彼らの富は物質的なものではない。アナテフカの人々は、背中の服と心躍る音楽の記憶以外にほとんど何も持っていない貧しい農民だ。アナテフカの富は社会的なもの、つまり互いの存在そのものだ。集合行動問題により、アナテフカを離れれば愛する人々すべてを失うため、アナテフカで暮らすこと以上に悪いのは、アナテフカを去ることなのだ。
https://pluralistic.net/2022/10/29/how-to-leave-dying-social-media-platforms/(邦訳記事)
Twitterからの離脱は、今なおか細い流れにとどまっているが、マスクが特に不愉快な行為を繰り返し、プラットフォームに留まることの代償が鮮明になった時に、時折急増する。現在、その離脱の大半はMastodonではなく、Blueskyに向かっている。
Mastodonと同様、Blueskyも、サーバ間で簡単にポータビリティを実現できる分散型ソーシャルサービスとして構想された。Blueskyのコードベースとアーキテクチャには、組み合わせ可能で積み重ね可能なモデレーションツールやグループのフォロー/ブロックリストなど、意欲的な火災抑制プログラムが織り込まれている。じつに素晴らしい。「イノベーティブ」という言葉の本来の意味、つまり「テクノロジーユーザの生活を向上させるもの」という意味でイノベーティブだ(「囚われたユーザを苦しめて株主を富ませる」という一般的な意味での「イノベーティブ」とは対照的に)。
Mastodonと同様、Blueskyもサーバ間で簡単にポータビリティを実現できる分散型ソーシャルサービスとして構想された。Blueskyのコードベースとアーキテクチャは、組み合わせ可能で積み重ね可能なモデレーションツールやグループのフォロー/ブロックリストなど、非常に意欲的な火災抑制プログラムを組み込んでいる。これらは素晴らしい機能だ。「革新的」という言葉の本来の意味である「テクノロジーユーザの生活を向上させるもの」という意味で革新的なのだ(「革新的」という言葉の一般的な意味である「囚われたユーザを苦しめて株主を豊かにするもの」とは対照的に)。
しかし冒頭で述べたように、「火災を防ぐためにあらゆる対策を講じるべきだが、どれほど対策を講じても燃え上がることはある」。
Blueskyの経営陣は、Blueskyを離脱して競合サーバに移行しても、フォローしている人々やフォロワーとのつながりを失わずにすむよう、非常口を設置するのに必要なものはすべて組み込んだと主張する。すべての投稿を移行できる個人データサーバもあるし、分散サーバ間でつながりを維持できる、安定した、ユーザ自身がコントロールできる識別子もある。
しかし、これだけのものが用意されていながら、Blueskyには機能する非常口がない。Blueskyのユーザで、Blueskyビジネス組織とのすべてのつながりを切断し、Blueskyが管理するサーバ上のアカウントと利用規約を放棄しながら、取り残された人々との個人的なつながりを失わなかった者は誰もいない。
人々との生きた継続的なつながり――過去の投稿や識別子ではなく――が、あらゆるソーシャルメディアサービスにおける最大のスイッチングコストを生み出している。素晴らしきFacebookの地(そこでは、マーク・ザッカーバーグが保証したように、決して監視されることはない――よかったね!)への移行を躊躇していたMyspaceユーザたちは、Myspaceの過去の投稿ではなく、互いへの愛情によってルパート・マードックの沈みゆく船に縛り付けられていた。Myspaceに残ったユーザと会話を続ける力を去っていくユーザに与えたことが、ボイドが観察した「崩壊」につながる堰を切ったのだ。
Blueskyの経営陣は、ユーザの幸福に対する賞賛に値する誠実な(少なくとも私はそう信じる)献身を示し、コンテンツモデレータへの投資や、ユーザが自身のコンテンツモデレーションを制御できるツールへの投資によって、その献身を十分に実証してきた。彼らは防火に多大な投資を行ってきた。
しかしBlueskyにはまだ非常口がない。非常口は設計図に描かれ、壁に埋め込まれているが、誰も設置していない。Blueskyユーザがゴミ捨て場の火事から身を守るために唯一頼っているのは、Blueskyの経営陣の継続的な善意と賢明さだけだ。それでは不十分だ。先に書いたように、私が現在社会的なつながりによってロックインされているすべてのソーシャルメディアサービスは、私の個人な知り合いで、尊敬し、好意を抱いていた(その大半は今も尊敬し、好意を抱いている)人々によって設立された。
https://pluralistic.net/2024/11/02/ulysses-pact/#tie-yourself-to-a-federated-mast(邦訳記事)
私はBlueskyを使いたい。少なくとも、Twitterを使い続けるコストがその利益を上回るところにまで迫っているからだ。Blueskyのアカウントは、Twitterに留まらせている残存価値を十分に代替できると確信している。しかしTwitterがあまりにもひどいゴミ捨て場の火事になっているという事実こそが、非常口を設置するまでBlueskyに参加しない理由なのだ。私は教訓を学んだ。非常口がきちんと機能するまで、決して、決して、絶対に、別のサービスに参加してはいけないのだと。
Pluralistic: Social media needs (dumpster) fire exits (14 Dec 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: December 14, 2024