以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Enshittification isn’t caused by venture capital」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

多くの仲間が大手ソーシャルメディアプラットフォームを離れた。そして、もっと多くの人々が離れたいと願っている。FacebookやInstagram、Twitterから逃れた我々でさえ、大切な人々をこれらのプラットフォームから救い出す方法を考え続けている。

レガシープラットフォームに残っている友人たちが、自制心に欠けているとか、離脱すべき理由を理解できていないとか、あるいはザッカーマスク・アルゴリズムによって「ドーパミンループをハッキングされてしまった」と考えるのは、安直で怠惰な発想だ。しかし、実際に残っている人々の声に耳を傾けてみれば、友人たちがレガシープラットフォームに留まっている主な理由は、ザッカーバーグやマスクへの嫌悪以上に、そこにいる他の人々を大切に思っているからだということがわかるはずだ。

彼らがプラットフォームに依存しているのは、希少疾患のサポートグループに所属しているからであり、子どものリトルリーグの送り迎えを調整しているからであり、故郷の家族や友人の連絡を取り合うためであり、顧客や取引先がいるからだ。

たとえ離脱したいと思っていても、どこへ行くのか、いつ行くのか、そして新しい場所に移動した後にグループをどのように再構築するかについて、合意を得るのは非常に難しい。経済学者はこれを「集合行動問題」と呼ぶ。この問題は「スイッチングコスト」――レガシープラットフォームから新しいプラットフォームに移行する際に失わなければならない多くのもの――を生み出す。集合行動問題の解決は困難で、スイッチングコストは極めて高い。

https://pluralistic.net/2022/10/29/how-to-leave-dying-social-media-platforms/

だからこそ人々は残り続けている――視点が欠如しているからでも、自制心が足りないからでも、ビッグデータからマインドコントロール光線を作り出した邪悪なテックブロの魔術師たちによってドーパミンループをハックされたからでもない。彼らは現実的で具体的な要因によってロックインされているのだ。

レガシープラットフォームの「粘着性」ゆえにユーザの道徳的欠落やプラットフォームの技術的優位性がもたらされているのだというビッグテック批判は、まさに敵に塩を送っているようなものである。レガシープラットフォームが問題であることを正しく指摘してはいても、問題の本質や解決方法を完全に見誤っている。幸いなことに、ロックインが問題の根源であり、相互運用性のようなアンチロックイン措置によって解決できることが次第に理解され始めている。

しかし、ソーシャルメディアへのよくある批判には、もう1つの大きな欠陥がある。ザッカーマスク的メディアの批判者たちは、サービスが営利目的であり、搾取と利益を何よりも優先する資本主義の論理に縛られているからこそ、ひどい状態になっているのだと言う。だが、その理屈では、これらのサービスの変化を説明できない。結局のところ、我々がTwitterやFacebook、Instagramを使い始めたのは、かつてそれらが楽しかったからだ。便利だったからだ。時には素晴らしいものでさえあったからだ。

「なぜ良質なサービスが劣化するのか」という問いを避けることは、「なぜ人々は劣化したサービスに留まり続けるのか」という問いから目を背けることと同様に、間違いである。

Facebookがコミュニティの形成や友人との出会い、旧友との再会を可能にする素晴らしい場だった頃、その舵を取っていた人物は、今日そこを地獄絵図に変えた張本人と同一人物だ。マーク・ザッカーバーグが当初から薄気味悪い人物だったと考えるべき理由は十分にある。彼はサービスを破壊し始める遥か以前、極めて早い段階で投資資本を受け入れている。では、いったい何が起きたのか? ザックは脳内寄生虫に取りつかれて、ある日突然邪悪になったのだろうか? 投資家たちはある日突然強欲になって配当をもっとよこせといい出したのだろうか?

そう考えるにしても、その根拠を示す必要がある。あらゆる記録が物語るように、ザックははじめからモンスターだった。彼の投資家たち――初期支援者のVCも、今日のMetaの株式を大量保有する巨大機関投資家――も忍耐強さとは無縁で、利益を残す起業家には容赦しなかった。彼らは最初から全ての銭を絞り取ろうとした。

では、何が変わったのか。何がザックにサービスをメタクソ化させたのか。そして、Facebookの囲い込まれた庭に閉じ込められた人々を案じる我々にとって、さらに重要な問いがある――「良き古き時代」に、彼のメタクソ化を食い止めていたのは何だったのか

メタクソ化とは、本質的に制約に関する理論である。企業は何としても利益を追求する。こう書くと、「何としても」という言葉に目を奪われがちだが、むしろ注目すべきは「利益」の方だ。企業は利益にならない行動を追求することはない。彼らは利益を生む可能性が高いと判断した計画だけを追求する。

企業が真の競合に直面してれば、メタクソ化戦略は利益をもたらさない。ユーザは競合プラットフォームへと流出してしまうからだ。だからこそ、ザッカーバーグがInstagramを買収した。彼がFacebookユーザへの圧迫を強めた時、何百万もの人々が友人たちとのつながりよりもザックへの嫌悪を優先し、高いスイッチングコストを受け入れてInstagramへと駆け込んだ。深夜、CFOへ送った不用意なメモの中で、ザックは失ったユーザを取り戻すという理由で、10億ドルものInstagram買収を正当化した。

https://www.theverge.com/2020/7/29/21345723/facebook-instagram-documents-emails-mark-zuckerberg-kevin-systrom-hearing

競合を無力化し、買収し、破壊する企業は、ユーザをより過酷に扱うことができる。プライバシーを侵害し、モデレーションやスパム対策を怠っても、ビジネスを失うことなくユーザを虐げられる。だからこそ、ザッカーバーグのモットーは「競争より買収が賢明だ」なのだ。

https://www.trtworld.com/magazine/zuckerberg-its-better-to-buy-than-compete-is-facebook-a-monopoly-42243

もちろん、私は左派として、市場による企業規律に頼ることの危うさをよく知っている。市場以上に重要なのは、政府による規制という形での規律だ。もしザッカーバーグが、プライバシー侵害、モデレーションの失態、違法な反競争的合併、パブリッシャや広告主を欺く不正な広告システム、その他の不正行為(「動画へのピボット」など)に対する罰金を本気で恐れていたなら、ユーザをもっと厚遇していただろう。しかしFacebookの台頭は、レーガン革命を生き延びた規制の最後の砦が、ジョージ・W・ブッシュやオバマ(そして後のトランプ)によって食い尽くされていった、新自由主義時代の終焉期に起こったのだ。

カルテルと独占企業が経済を支配するにつれ、ほとんどの政府規制機関が骨抜きにされ、取り込まれていった。公的機関は無力化されるか、あるいは独占企業による富の収奪を妨げる小規模企業、顧客、サプライヤを潰すための手先と成り下がった。Facebookの成長とともに、ザッカーバーグは、市場の失敗を是正するはずの政府の監視の目を恐れる必要がなくなっていった。

しかし、それ以上にまずかったのは、ザッカーバーグをはじめとするテック独占企業が、「IP[知的財産]」法を利用すれば、ユーザによるメタクソ化への抵抗を手助けするサードパーティ技術を、政府の力で封じ込められることに気づいたことだ。IP法の存在が、アプリにおけるプライバシー保護広告ブロッカーの開発を不可能にし(だからこそ企業はオープンウェブではなくアプリの使用を強要し、アプリは悲惨なまでにメタクソ化している)、アルゴリズム推奨をブロックする代替クライアントの開発を阻み、Facebook上のメッセージを別サービスのインボックスに取り込むスクレイパーの実行を禁じ、同社が容認する有料の政治的偽情報をカタログ化するためのFacebookのスクレイピングを封じている。

https://locusmag.com/2020/09/cory-doctorow-ip/

IP法の成長はFacebookの台頭と時を同じくしている。Facebookの影響力が増すほど、そのユーザを保護しようとする相互運用者にとって魅力的な標的となったはずだが、同時にFacebookは自社サービスへのどんな些細な改善でもブロックする権限を手に入れていった。こうして、Facebookは広告ブロックなど、収益を永続的に奪うようなユーザの一方的な行動を恐れることなく、さらなるメタクソ化への道を突き進むことができた。アプリでの広告ブロックが違法となれば(実際そうなっている)、広告をいくら不快なものにしても歯止めが利かなくなるのだ。

もちろん、Facebookの従業員の多くはユーザを気遣っていた。21世紀の大半を通じて、こうした労働者は同社の重要な財産だった。しかし、テックワーカーが慢性的な不足していたのは、プラットフォーム企業が容赦ない人員削減――2023年に26万人、2024年にさらに15万人以上――を開始する数年前までだった。Facebookの従業員はコンテンツモデレーションの廃絶に怒りを覚えているかもしれないが、もはやザッカーバーグは彼らの離職など恐れていない。仕事を探し求める50万人もの熟練テックワーカーが市場に溢れているのだから。辞めたいなら好きにしろ、というわけだ。

https://www.404media.co/its-total-chaos-internally-at-meta-right-now-employees-protest-zuckerbergs-anti-lgbtq-changes

市場、政府、労働の制約の崩壊と、非メタクソ化のための相互運用可能なアドオンを犯罪化するIP法の成長。この変化こそが、永遠の薄気味悪い存在であるザッカーバーグが、今日これほどまでに堂々と薄気味悪い本性を隠さずにいられる理由だ。それは、彼が以前より邪悪になったからではない。ユーザと労働者を虐げることで株主に利益をもたらしても、何の報いも受けないと理解しているからだ。2025年のザッカーバーグはザック史上最も邪悪なザッカーバーグではない。最も制約のない、自由に振る舞えるザッカーバーグなのだ。

Twitterにも同じことが言える。確かに、経営陣は一新された。今日Twitterをメタクソ化している人物は、昨年までメタクソ化を推し進めてきた人物とは違う。マスクはメタクソ化曲線を驚異的なスピードで駆け上がっているが、それでもTwitterは崩壊していない。なぜか。マスクは失敗の代償から完全に遮断されているからだ。巨額の富という緩衝材があり、ユーザへのリーチを求める広告主がおり、サービスから離れる余裕のないユーザがいて、より良いサービスへの移行を容易にするかもしれない相互運用者を締め出すIP法を手にしている。マスクは常に貪欲で残虐な人物だった。今や彼は何の制約もない貪欲で残虐な人物となったのだ。2025年のマスクは2020年のマスクより邪悪になったわけではない。ただ、邪悪な衝動のままに行動できる自由を手に入れただけだ。

サービスを破滅的な状態に陥れる要因は2つある。捕らわれたユーザと制約の不在だ。ユーザが逃げ出せず、ユーザを不幸にすることへの代償(競合他社への流出だけでなく、罰金、刑事訴追、労働者の反乱、相互運用者によるゲリラ戦など)を恐れる必要がなければ、サービスを巨大なクソの山に変えるための手段と動機と機会が揃うことになる。

こうした流れが、かつてのジャック・ウェルチ1訳注:1981年4月から2001年9月までゼネラル・エレクトリック社のCEOを務めた。とその追随者たちを生み出した理由でもある。彼らのような邪悪な人物は昔から存在していた。しかし、ロナルド・レーガンがGEをクソの山に変えることを罰する制約を取り除くまで、そうした連中がGMの経営を握ることはできなかった。経済というシステムには、常にこのような寄生虫や怪物がウヨウヨしている。だが彼らは、政治家が侵入経路となる裂け目を作り出すまで、システムに深く根を張り、居座ることはできないのだ。

言い換えれば、利益追求の動機そのものは、メタクソ化を引き起こす十分な要因とはならない。たとえ収益に満足できなければ会社の閉鎖や経営陣の解任も辞さないVCの支配下にある営利企業であっても、だ。営利企業は利益を追求する。メタクソ化したFacebookやTwitterによるサービスの変更は確かに残酷だが、残酷さが目的なのではない。目的は利益だ。もしFacebookがプライバシーを侵害することで課される罰金――あるいは刑事訴追――が、それによって得られる広告ターゲティングの収益を上回るなら、同社は我々への監視をやめるだろう。Facebookは不服かもしれない。ザックも嫌がるだろう。だが彼らはそうせざるを得ない。我々を監視しているのは覗き趣味からではなく、金を稼ぐためだからだ。

メタクソ化を止めるために、利益追求の動機を根絶する必要はない。メタクソ化を不採算にするだけでよいのだ。

何も資本主義を擁護したいのではない。「本物の資本主義」が善で、「仲間内資本主義」や「独占資本主義」が悪だと思っているわけでもない。あらゆる形態の資本主義が労働者を傷つけ、富と権力を公共および民主的な機関から私的利益へと移転しようとする。しかし、確かに異なる形態の資本主義が存在し、それぞれに異なる勝者と敗者がいるという事実は変わらない。App Storeでアプリを販売したい、あるいはFacebookを通じて顧客にリーチしたい資本家たちは、テクノ封建制の敗者だ。一方でApple、Facebook、Google、その他のビッグテック企業は、テクノ封建制の大勝者なのである。

賢明な左派はその違いに注目する。なぜなら、そこに資本主義連合における潜在的な断層線が見えるからだ。彼らは皆、自らを資本家と呼び、労働者の力と人権を抑圧してくれる政治運動に資金と支援を提供している。だが、プラットフォームが勝利を収めると、プラットフォームのビジネス顧客は必然的に敗北を喫する。彼らは資本主義対社会主義の戦いに劣らず重要な、資本主義対資本主義の戦いにおいて、決して和解することのできない利益相反を抱えているのだ。

私が強調したいのは、資本主義におけるこうした分断を理解することこそが、実践的な戦略として有効だということだ。その亀裂を知れば、人間の繁栄と労働者の権利のための具体的で実質的な成果を勝ち取ることができるからだ。全ての営利企業を同質で救いようのないものとして一括りにすることは、悪い戦術である。

レガシーソーシャルメディアは、今まさに転換点を迎えている。ザッカーマスク・モデルに対抗しうる勢力として、オープンな標準に基づく2つのシステムが台頭してきた。すなわち、Mastodon(Activitypub)とBluesky(Atproto)だ。前者はより成熟しており、趣味人から企業まで、様々な主体が運営する連合サーバの巨大ネットワークを持ち、非営利組織によって監督されている。一方のBlueskyは、はるかに多くのユーザを抱え、VCが支援する企業体であり、理論的には連合可能だが、Blueskyがメタクソ化への道を歩み始めた時の移行先は存在しない。

つまり、Blueskyは捕らわれたユーザを数多く抱え、メタクソ化されたレガシープラットフォームと同様の制約の欠如に直面している。これは良い状況ではない。現在の経営陣がBlueskyのメタクソ化を選択した場合、それは可能であり、かつ利益をもたらすことになる。さらに、同社のVC陣は、現経営陣を交代させ、メタクソ化を望む者たちと置き換えることで、より多くの収益が見込めることを理解している。

これがBlueskyが危険な状況にある理由だ。VCの支援を受けていることでも、営利企業であることでもない。捕らわれたユーザを抱え、制約が存在しないからだ。まるで非常口のない密閉建物で開かれた、楽しいパーティのように。

https://pluralistic.net/2024/12/14/fire-exits/#graceful-failure-modes

先週、私はFree Our Feedsというプロジェクトを支持した。その目的の1つは、実力行使でBlueskyに非常口をこじ開けることだ。つまり、経営陣が交代したり、心変わりした場合に、ユーザが避難できる代替Blueskyサーバを独自に立ち上げることだ。

https://pluralistic.net/2025/01/14/contesting-popularity/#everybody-samba

一部のMastodonユーザは、このFree Our Feedsプロジェクトをいぶかしんでいる。Mastodonという完璧な非営利の選択肢があるのに、なぜ営利プロジェクトの安全性確保に労力を費やさなきゃならないのか。なぜフェディバースの改善に投資すべき何百万ドルもの資金を、スタンドアロンのBlueskyサーバの開発に浪費するのか。

私はフェディバースの改善を強く信じているし、Blueskyの長年の課題である連合化の実現も切望している。その理由は明確である。私の目標はフェディバースの成功ではなく、メタクソ化の打倒なのだ。「なぜBlueskyの修正に資金を投じるのか?」という問いに対する私の答えはこうだ――「2000万人ものユーザをメタクソ化のリスクに晒したまま放置するのはなぜか。多くの組織がBlueskyサーバ全体の連合を運営できるようにするツールチェーンを構築できるのに」。より良いインターネットの実現を望むなら――フェディバースだけでなく――あなたもこの目標を共有するはずだ。

結局のところ、フェディバースのサーバの多くは営利企業が運営している。その最大手の1つ(Threads)はMetaが所有している。同性愛嫌悪、外国人嫌悪、トランス嫌悪のヘイトスピーチを奨励するザッカーバーグの決定に心を痛めているThreadsユーザは、簡単にThreadsから逃げ出せる。Threadsと連合するフェディバースの任意のサーバにセットアップすれば、残された人々とのつながりを維持できる。

フェディバースにおける営利サーバの存在は、フェディバースそのものを損なうものではない(私個人はそんなサーバを利用しないが)。複数のネオナチグループが独自のMastodonサーバを運営している事実も、フェディバースを傷つけることはない(もちろん彼らのサーバは利用しない)。ドナルド・トランプのTruth SocialがMastodonサーバであるという現実さえ、フェディバースを台なしにすることはない(当然、利用しない)。

これこそが、連合化された、そして連合可能なソーシャルメディアの強みだ。スイッチングコストを引き下げることで、メタクソ化を企てる者たちに規律を課す。そして、彼らが強硬な姿勢を崩さない場合でも、ユーザは集合行動問題に直面することなく容易に脱出できる。任意のユーザが、任意の時点で、任意のサーバへと移行し、他の全ての人々とのつながりを維持できるからだ。

Mastodonは自由の下に誕生した。フリーなコードと、フリーな連合を最優先事項として。一方のBlueskyは異なる出自を持つ。営利の公益企業という枠組みの中で生まれ、その定款にはメタクソ化に対する防衛策も含まれているものの、最も決定的な要素――離脱が必要となった時にユーザが逃げ出せる連合という選択肢――を欠いている。

Mastodonが自由な存在として生まれたことは、自由なインターネットを求める闘争の歴史の中でも稀有な出来事だった。インターネットの大部分はプロプライエタリとして生まれ、後から自由を獲得していった。Unixは、独占的地位の濫用で有罪判決を受けたAT&Tのベル研究所から生まれた。GNU/Linuxプロジェクトがそれを解放したのである。

SMBも、もう1つの独占企業であるMicrosoftの城壁の中で、プロプライエタリな存在として生を受けた。SAMBAがそれを解放した。

Officeのファイル形式もまた、Microsoftの囲い込まれた庭の中でプロプライエタリな姿で生まれた。それを解き放ったのは、分厚い官僚主義の壁とMicrosoftによる(Open Document Formatの擁護者たちの椅子すら文字通り用意することを拒否するような)妨害を突き破って戦い抜いたハッカー活動家たちだった。彼らの闘いが、LibreOfficeからGoogle Docs、Office365からウェブブラウザに至るまで、あらゆるものの基盤となるフォーマットをもたらしたのだ。

つまり、プロプライエタリなもの、あるいは十分に自由とは言えないものを自由をハッキングすることは、決して異常なことではない。いたって普通のことだ。コンピュータの「素晴らしさ」は、まさにこの過程を経て手に入れたものなのである。

Mastodonの創始者たちは、その創造物が自由な状態で生まれることを確実にした点で、称賛に値する。しかし、Blueskyが十分な自由を持ち合わせていないからといって、背を向ける理由にはならない。我々が大切にする人々を縛り付けるロックに対する唯一の答えは、そのロックを打ち砕くことだ。警告に耳を貸さなかったという理由で、囚われた人々を見捨てることではない。

オードレ・ロードは私よりはるかに賢い人物だが、「支配者の道具は決して支配者の家を解体しない」という彼女の言葉は、誤りだった。ある構造物を秩序立てて解体するのに、それを建設した道具以上に適したものはない。そこには必ずや、適切なドライバー、レンチ、六角レンチ、ソケットが全て揃っているはずだ。

Blueskyは素晴らしい。Blueskyには、Mastodonよりも素晴らしい機能がたくさんある。構成可能なモデレーションの仕組みは特に素晴らしく、技術的な勝利であると同時に、人間中心の設計思想における勝利でもある。

https://bsky.social/about/blog/4-13-2023-moderation

私はMastodonがこれらの機能を採用することを願っている。誰かがBlueskyの優れた機能をMastodonに移植するプロジェクトを立ち上げるなら、私は躊躇なくそのクラウドファンディングに参加するだろう。

だが、MastodonにはBlueskyが決定的に欠いている機能がある。企業にメタクソ化への抑止力を与え、その抑止が失敗した場合にユーザに非常口を提供する連合だ。その機能は随分と昔に、Blueskyにコピーされていたはずだ。

Pluralistic: Enshittification isn’t caused by venture capital (20 Jan 2025) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: January 20, 2025
Translation: heatwave_p2p