ブロッキング法制化の是非をめぐって対立が続いていた政府知財本部の「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議(タスクフォース)」。今年6月22日に第1回会合が開かれ、駆け足で議論が進められてきたが、ブロッキング推進派・反対派の溝が埋まることはなく、とりまとめどころか報告書すら出せないまま、会議は無期限延期となった。

今年に入ってから続いていたブロッキングを巡る議論は、まさにカオスと言えるほどに混迷を極めた。いったいどこで道を違えてしまったのだろうか。

政府への不信感と知財本部の忖度

10月15日に開催された第9回会合では、なんとか賛成意見・反対意見の両論併記でまとめたい事務局に対し、森亮二弁護士ら9人の委員が連名で中間とりまとめ案の修正案を提出。両論併記を破棄し、ブロッキングの法制化を見送るべきとの文言を盛り込むことを求めた。3時間半にも渡る丁々発止の末、議論は平行線のまま落とし所を見つけることもできず、中間まとめなし、報告書なし、座長一任なしという何も決められないづくしで会合は終了した。

ブロッキング法制化に反対した森弁護士は、会合で次のように主張した

「両論併記はありえない。両論併記の報告書を基に、『こんな議論がありました』としてブロッキング法制化が進んでいくだけ。修正案の通りにならないのであれば、まとめないとしても報告書は出すべきではない。議事録だけ残せば十分だ」

森弁護士の発言には、政府への不信感がありありと見える。それも当然のことだ。

今年4月13日、政府知的財産戦略本部・犯罪対策閣僚会議は、国内ISPに「法制度整備が行われるまでの間の臨時的かつ緊急的対応として」海賊版サイトへのブロッキング実施を事実上要請した。つまり、この決定はブロッキングが法制化されることを前提としたものであったのだ。当然、その法整備のために立ち上げられたこのTFには、法制化にGOサインを出し、政府の(都合の良い憲法解釈を含む)フライングを事後承認することが求められていた。

いかに座長が「結論ありきではない」と宣言していたとしても、政府の面子を潰す訳にはいかない知財本部としては、TFの結論をどのような形であれブロッキング法制化へのGOサインにしなくてはならなかった。両論併記といえばあたかも中立であるかのように聞こえるが、そもそも知財本部のTF自体が、座長や委員の意見・考えとは無関係に、中立とは言い難い存在だったのである。

また、知財本部が4月の政府決定に触れることをタブー視し続けたこと、山口貴士弁護士が米国での著作権侵害訴訟でCloudflare(やPayPal)から漫画村の運営者につながる情報を引き出したことも、不信感をさらに募らせることにつながったのだろう。ブロッキング法制化を強行に進める根拠としてきた「あらゆる手段」を講じても「運営管理者の特定が困難」だという主張はもろくも崩れ去り、政府が権利者側の陳情を鵜呑みにして、十分な精査をすることなく、あのような決定を下したのではないか、という疑念すら湧いてくる。

読売新聞の若江雅子編集委員が指摘するように、事務局がブロッキングに固執したことこそが、ブロッキング自体を阻み、ブロッキング以外の議論を深めることを阻み、さらにはそのとりまとめすらままならない状況を作り出した。記事中、京都大学の曽我部真裕教授は次のように述べている。

「通常なら、こんなに批判のあるものを、事務局が無理やり進めるとは思えない。背景に政治的な事情があるのではないかと想像してしまうが、一方で、政治の動きは見えず、確認もできない。不透明な政策形成に怖さを感じる」

忖度であるのか、指示であるのかはわからないが、政府の意向が知財本部の固執につながったのだろう。もちろん、政府にブロッキングを提案した甘利明・元経産相(現自民党選対委員長)の顔を立てるという意図もあったのかもしれない。

「『時間との戦いだ』という声を聞きました。出版社はものすごい勢いで売上が減っていて “出血量”がひどい、このままでは出版社がつぶれ、漫画家がやっていけなくなると。それで私が官邸に話をしたのです」

「憲法上の整理は当然大事です。しかし、いままさに“出血”しているときに、神学論争のような話をしていていいのか。そんな議論をしているうちに、海賊版サイトが広まって出版社も漫画家も食えなくなったら元も子もない。そんな話をしました」

憲法論議を神学論争呼ばわりしてまで出版社を守りたい気持ちは(その意図はともかく)ひしひしと伝わってくる。憲法を軽視するということは、同じような理屈で出版・報道の自由も制限されかねないのだが、出版社としては藁にもすがる思いだったのだろう。

曽我部教授の言うように、背景にあった政治的な事情は今後も表に出てくることはなく、推測の域を出ることはないだろうが、知財本部がブロッキングの実施に向けて、あるいは政府の決定を事後承認するための何らかのかたちをTFに求めていたのは確かだ。

政府の思惑に知財本部がおもねったことにより、「著作権者等の更なる権利侵害の拡大を食い止めるとともに、安全なインターネット環境を実現するため、インターネット関連事業者、コンテンツ産業関連事業者、有識者が集い、従来の対応に加え、新たな対策を緊急に講じるための枠組を検討する」という当初の目的も達成できぬまま、議論はブロッキングの是非に終止し、空中分解する結果につながったと言えるだろう。

ブロッキング賛成派・反対派のすれ違い

もちろん、ブロッキング法制化を求めたのは知財本部だけではない。委員のなかでも、カドカワ株式会社代表取締役社長、株式会社ドワンゴ取締役CTOの川上量生氏はその急先鋒であったし、一般社団法人コンテンツ海外流通促進機構(CODA)の後藤健郎氏も強硬にブロッキングの法制化を求めた。

だからこそ、TFでの議論はブロッキング法制化が中心となり、賛成派・反対派ともに一歩も引くことなく、議論はこじれにこじれ、平行線をたどった。

こじれた理由はいたってシンプルである。「ブロッキングは情報社会のあり方を変える」という主張と「海賊版サイトのブロッキングの影響は軽微である」という主張をぶつけ合っていたのである。こじれたというよりも、そもそも噛み合っていなかったといったほうが正しいのかもしれない。

たとえば知財本部TF第9回会合に提出されたCODAの意見書には以下のように記されている。

 もちろん、通信の秘密は尊重されなければなりません。

 しかしながら、すでにISPによる宛先の確認は日本国内でも実施されており、海賊版サイトのブロッキングを実施することは、新たにインターネット通信の宛先についてISPに知得されるようにするという性質のものではなく、また検閲的な行為が行われることにもなりません。そして、サイトブロッキングが導入されたことにより自由なインターネット社会が破壊された国など存在しません。

要約すると、①すでに児童ポルノブロッキングを実施してる、②諸外国はブロッキングを導入しているが何の問題もない、という主張だ。

①については、以前の記事にも書いたように、児童ポルノブロッキングは他の法益侵害への援用を完全に否定することを前提とすることで実施に至っている。その前提のもとに成り立っているものをものを挙げて、その前提を切り崩しにかかるのは論理として破綻している。

②については、中国やロシア、トルコなどにおいて、ブロッキングは検閲に用いられ、自由なインターネットを損ねているという事実に反する。中間まとめ案を見る限り、 トルコのTwitterブロッキング事例についてはTFでも議論に上ったようだが、「Twitterに対する言論統制と海賊版サイト対策を同一視すべきではない」と反論されていたようだ。

結局のところ、司法判断を伴う海賊版サイトブロッキング、あるいは、漫画村・MioMio・Anitubeの3サイトのブロッキングに限定すれば問題がないと言い続けているだけで、同様の論理で他の領域でブロッキングがなされたとしても、それは無関係だというわけだ。たとえ検閲や監視につながる道が開かれたとしても、私たちが望んだのは海賊版サイトのブロッキングなので、私たちには関係がない、だから議論する必要はない、ということなのだろう。

児童ポルノブロッキングが封じたパンドラの箱を開ける以上、ブロッキングという措置自体の是非が問われなければならないにもかかわらず、知財本部は徹底してそれを避け続けた。

第5回会合(8月24日開催)での総務省消費者行政第二課長の発言がそれを如実に表している。

ブロッキングは、ユーザーの意思に反してアクセス先をチェックして遮断するということですので、プロバイダの役割が、ユーザーを守るものから、ユーザを監視するものに変わるということです。議論の本質論としては、今後のネット社会のあり方として、ネットの利用の監視のほうへすすむのか、自由なほうへすすむのか、どちらを目指すのかということです。

ブロッキング法制化を進めるのであれば、「我々の社会はブロッキングという常時監視・情報遮断措置を汎用のツールとして受け入れてよいのか」という根本的な問いに答えを出さなくてはならないのは当然である。その議論を避け続けたがために、通信行政を担う総務省からこのような指摘が出るに至ったわけだ。

だが、住田孝之・知的財産戦略推進事務局長はこの発言を不適切発言として扱った。この発言のあった第5回会合から、TFの議事録が公開されていないのも無関係ではあるまい。

ブロッキングそのものの是非となれば、知財本部の手を離れ、長い時間をかけた議論が必要になるだろう。もちろん、知財本部も権利者側もそれは避けたい。だからこそ、ブロッキングの是非は棚上げし、海賊版サイトのブロッキングに限定した結論を出そうとした。しかし、前者を曖昧にしたまま、後者に結論を出せるはずもない。無理を通せば、議論をしていないはずのブロッキングの是非に道筋をつけることになる。

実際、委員の1人でブロッキングの法制化に積極的だった林いずみ弁護士の主張はまさにそれに当たる。彼女は憲法における通信の秘密は、「公権力が特定の表現内容の事前抑制を目的として宛先 IP アドレスを知得することによる表現の自由の侵害」等を禁じるためのものであり、海賊版サイトブロッキングはそれとは異なる、だから「憲法違反の疑い」を根拠とした反対は妥当性を欠くと主張する。その上で、

憲法上の原理間の利益較量は、それによって達成しようとする利益と生じるかもしれない具体的な弊害との比較においてなされるべきである

としている。この理屈に従えば、公権力による検閲以外であれば、著作権侵害に限らず、あらゆる領域で(利益衡量の上で)ブロッキングが可能となる。結局、海賊版サイトのブロッキングに限定した議論などできるはずもなく、その結論は当然、ブロッキングという手段を情報社会における汎用のツールとするかどうかの根拠とされるだろう。知財本部だけで急いて結論を出せる(あるいは出してよい)問題ではない。

知財本部は今回の件を猛省しているはずだ。おそらく、今後は委員の割り当てに細心の注意を払い、導出したい結論のための人選を行うのだろう。

悪人を野放しすることを前提とした対症療法

知財本部TFが混迷を深め、ブロッキングの行方がだいぶ不透明になったとしても、海賊版サイトの問題が霧散してしまうわけではない。海賊版サイト対策については、今後も検討を続けていかなくてはならない。

議論が深まらなかったとはいえ、TFではブロッキング以外にもさまざまな提案がなされた。リーチサイト規制や静止画ダウンロードなど到底受け入れられない提案も含まれているが、そうした議論を深めていくことも必要になるだろう。

ただ、中間まとめ案を見る限り、総合対策と銘打つだけあって、その多くが海賊版サイトの周辺や環境に対する間接的な対症療法であることも否めない(啓蒙・教育、正規流通の促進、対策組織の設置、リーチサイト規制、静止画ダウンロード違法化、検索結果からの除外、広告出稿の抑制、フィルタリングの活用など)。

しかし結局のところ、問題の本質は、海賊版サイトそのものにどのような対策を講ずるべきか、という点にある。どこまでいっても、海賊版サイトの運営に関与する(つまり、海賊版コンテンツをサーバにアップしている)個人や組織に民事刑事上の責任を負わせるというところをスタートラインにしなくてはならない。

幸か不幸か、日本は個人による軽微な著作権侵害ですら懲役刑が課されうる厳格な著作権法を持つ。にもかかわらず、あれほど大騒ぎになったFreebooksも漫画村も摘発できなかった。

知財本部TFの議論や報道を見ても、出版社側は警察に相談はしているし、捜査が進んでいるものもあるとは話している。だが、報道を見る限り、漫画村の運営者は国内法で対処しうる人物であるようなのだが、なぜ摘発できないのか。

それこそが最大の問題であるはずだ。

だが知財本部TFの議事録を読んでも、その部分の議論が深まっているとは思い難い(第5回以降の会合で議論が深まっているのかもしれないが、残念ながら議事録は公開されていないし、報道ベースでもそれらしき記述は見当たらない)。

警察に捜査をお願いする立場にある権利者側には言い出しにくいことなのかもしれないが、警察の捜査能力についても問われるべきであるはずだ。確かに、CDNや防弾ホスティング、オリジンサーバ、ファイルホスティングサービス、匿名ドメインなどあらゆる手段を国境を越えて駆使しているがゆえに、法執行が難しいという問題はある。しかし、「管轄外であるがゆえに難しい」と一口に言っても、難しいのが国際協調の問題なのか、(それと多少重複するが)各国著作権法の違いのためなのか、警察の能力不足のせいなのかは切り分けた上で、それぞれの解決策を模索しなくてはならない。

だが、中間まとめ案を見る限り、知財本部ははなからこの問題を解決するつもりはないようだ。中間まとめ案(第2章 2.(3) 国際連携・国際執行の強化)によれば、日本は米国、韓国、中国、香港、EU、ロシアとの間に刑事共助条約・協定を結び、その他にもサイバー犯罪に関する条約、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を締結しており、「多くの国・地域との協力体制が構築されている」という。今後もこうした協力体制の進展を進めるとしつつも、「現実には、国外に存在する証拠の収集等には様々な制約が生じ」るため、「海賊版サイトの根絶を期待することはできない」と結論づけている。警察の捜査能力については触れられてすらいない。

どこまでいっても海賊版コンテンツをサーバに上げる個人や組織が悪いのであって、彼らにこそ民事刑事上の責任を追わせなければならない。しかし、知財本部が進めようとしているのは、「海賊版サイトの運営者の責任は問えないので、彼らを野放しすることを前提に、海賊版を利用する人々を新たに罰したり、無関係の者も含めて全国民を監視・遮断するシステムを構築する」というものだ。

筋が違わないか?

意地の悪い読み方をすれば、知財本部のまとめ案は「我が国はサイバー犯罪に無力であるため、サイバー鎖国化することで対応したい」と言っているに等しい。ますますサイバー犯罪が巧妙化、複雑化し、サイバー攻撃、サイバー戦は激化の一途を辿っている。他国が協力してくれないから手も足も出ません、などと悠長なことを言っていられる状況ではない。協力を得られないのであれば、協力を得られるように働きかけていくのが政府の役割であるはずだ。だが、そのために何をして、どのような成果を上げてきたというのか。まとめ案から読み解けるのは、国際協調は実現できないから期待するな、ということだけだ。

そのような状況において、知財本部TFをアリバイとしてブロッキングを進めるというのは、政府の不作為の責任を有耶無耶にしたまま、国民に押し付けているだけと感じる。

頓挫した知財権執行の国際協調

日本のように、違法ダウンロードを含め軽微な著作権侵害にまで重罰を課す厳格な著作権法を有する国はそう多くはない。だから、各国著作権法の違いによって、著作権執行が難しいというのはわからないでもない。

だがかつて、著作権執行の国際協調を目指した取り組みがあった。もはや忘れ去られた存在となってしまっているが、その名をACTA――「偽造品の取引の防止に関する協定」(かつては「模造品・海賊版拡散防止条約」とも呼ばれた)という。

Photo by USTR

ACTAは、インターネット上の著作権侵害を始め、知的財産権に関する国際的な法的枠組みとなるルールを定め、そのための国際機関を設置することを目的とした。それを提唱したのは日本であり、まさに今回のブロッキング騒動の震源地となっている知財本部である。知財本部が2005年7月に決定した『知的財産推進計画2005』こそ、ACTAの原型であった。

(5)模倣品・海賊版拡散防止条約を提唱し実現を目指す

 模倣品・海賊版問題は、特定の国に止まらず世界各国に拡散しており、また犯罪組織やテログループの資金源となったり、消費者の健康や安全を脅かす問題であることにかんがみ、TRIPS協定を補完する実効性のある措置として、各国と連携しつつ、世界税関機構(WCO)、国際刑事警察機構(インターポール)などの国際機関と協力して、模倣品・海賊版の拡散防止を明確な国際規範とする条約を提唱し、早期にその実現を目指す。

ACTAは同年のG8グレンイーグルス・サミットで提案され、予備交渉を経て、2008年6月に正式交渉がスタートした(参加国は、日本、米国、EU、スイス、カナダ、韓国、メキシコ、シンガポール、豪州、ニュージーランド、モロッコ)。

知財権執行の国際協調を強化するというお題目こそ確かに素晴らしかったが、実際の交渉は知財先進国の権利者たちの都合ばかりが優先されるバランスを欠いたもので、しかも秘密交渉を理由にその内容は一切公開しないという民主国家同士の協議とは到底思えないものであった。

草案や交渉内容がリークされると、危機感を覚えた人々が世界中で反対の声をあげるようになった。ACTAが国ごとに異なる知財権法の最低限のルールを定めるというものではなく、米国が同国の望むルールを世界中に押し付け、インターネットの自由を損ねてでも知財権者の利益を最大化するポリシーロンダリングに利用されていたことが明らかになったためだ。国民が到底受け入れられないような法律であっても、国際条約・協定で決めてしまえば、参加国の国民の声を無視してでも法改正を進めることができる。まさにそれに利用されたのだ。

No ACTA – Strasbourg
Photo by Christophe Kaiser (CC BY-NC-ND 2.0)

リークという不確かな情報ながら(さらにリークというかたちでしか情報にアクセスし得ないことも含めて)反対運動が加熱し、多数の問題点が指摘されたことで、ACTAには一部修正が加えられることになったが、あらゆる懸念を払拭するには至らなかった。それでも2010年11月には最終合意にいたり、2012年1月には31カ国の署名を取り付けた。しかし2012年7月、欧州議会が反対運動を受けてACTAの批准を反対多数で否決したことで、風向きは完全に変わってしまった。同年9月に日本が国会承認を得て批准したものの、それに続く国はなく、ACTA発効の条件である「6カ国の批准」を満たすことはなかった。

また、ACTAへの反発は参加国内だけでなく、インドやブラジルを始めとする新興国、途上国もACTAを警戒し、対抗する動きすら見られた。一部の先進国の一部の産業の都合を最優先し、他国に従わせることを目的としたのだから当然であろう。新興国や途上国には先進国の知財権を保護するインセンティブはなく、さらには医薬品の扱いをめぐって人命にも関わる問題にも発展しかねなかったのだから。たとえACTAが発効していたとしても、こうした国々が批准してくれたかどうかは疑わしい(加盟国、とりわけ米国と非加盟国とのFTAによって拡大していく可能性がなかったわけではないが)。

結局、目的とした国際協調とは名ばかりで、一部の国、一部の産業の都合や利益が優先されたACTAは、本来の目的すら達成することができずに頓挫してしまったのだ。提唱国でありながら、米国に踊らされ、言われるがままにたたき台を作ってしまった日本政府の責任も重い。

政府の言う「海外だから手が出せない」をいつまで許し続けるのか

世界規模の国際協調の機会をみすみす逃すという大失態を演じておきながら、「海外なんで限界あるんですよねー仕方ないですよねー」と他人事のような中間まとめ案の書きぶりにはいささか腹立たしく思うところもあるのだが、更に腹立たしいのは、ブロッキング法制化が失敗に終わったときの保険なのか知らないが、あたかもリーチサイト規制や静止画ダウンロード違法化が既定路線であるかのようにしれっと掲載していることである。

中間まとめ案にも書かれているが、リーチサイト規制を入れたところで結局のところ国外で運営されている場合には対処のしようもなく(往々にしてリーチサイト運営者自身がサイバーロッカー等に海賊版コンテンツを投稿しているとケースが多く、そこに対応できないのに、リーチサイト規制をいれれば対処できるようになるとは思い難い)、静止画ダウンロード違法化にしても、人気を集める海賊版サイトは漫画村のように他サーバにある画像をインラインリンクで表示しているわけで、その閲覧はそもそも違法化の対象にはならない。

効果はまったく期待できないが、ブロッキングもできず何の成果もないのは面子が立たないので、手土産にこの2つくらいは持たせてくれ、というところなのだろうか。ふざけるなとしか言いようがない。

いずれも海賊版コンテンツをサーバに置いた人物を野放しにし続けることを前提に、ならばその責任を負う人間を増やし、締め付けてやればいい、という発想に他ならない。

「海外だからしかたない」という言い訳を許し続ける限り、その発想はエスカレートを続けていくだろう。サービスプロバイダに義務を課そう、ISPにも重い責任を負わせよう、ストリーミング(表示)も違法化しよう、犯罪なのだからアクセスを監視させよう――海賊版コンテンツをばらまく張本人を野放しにしたまま、そんな議論が進んでいくことは目に見ている。

そんな茶番はもう終わりにしないか。サイバー犯罪、サイバー攻撃への対応にもはや周回遅れになっている状況に危機感を持ったほうがよいのではないか。政府の言う「海外だから手が出せない」をいつまで許し続けるのか。

どれほど権利者が民事で責任を追及しようとしても「海外だから手が出せない」ことは確かにあるだろう。しかし政府が一緒になって「海外だからしかたない」などと甘えたことを抜かしてよいはずもない。その問題を解消することこそ、政府の役割であるはずだ。

カテゴリー: BlockingCopyright