以下の文章は、電子フロンティア財団の「The Journalism Competition and Preservation Act Will Produce Neither Competition Nor Preservation」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation


議会は欠陥だらけの「ジャーナリズム競争・維持法(JCPA)」が、窮地に陥ったオンライン報道機関の抱える問題を魔法のように解決してくれると信じて疑わないようだ。残念なことに、現実はそんなに甘くない。むしろ、より危機的な状況を作り出してしまうだろう。もっと良いソリューションがすでにあるというのに。

JCPAは、ニュースサイトに反トラスト法の適用除外を与え、GoogleやFacebookなどと団体交渉できるようにし、ニュース記事にリンクされるごとに報酬を得られるようにする。このようなアイデアには、複数の、そして根本的な欠陥がある。第一に、既存の独占企業に対抗するために新たなカルテルを許容するというのでは、余計に競争を損ねるだけである。第二に、どのような文脈であれ、リンクをコントロールする事実上の権利を与えてしまえば、ジャーナリズムが維持されるどころか腐敗を呼び込むことになる。最後に、歴史的に見ても、デジタル広告市場を一握りの巨大なプレイヤーが支配してることこそが問題であるのに、リンクの対価に焦点を当てたところで何の解決にもならない。「デジタル広告における競争と透明性法」は、JCPAよりもはるかに問題の解決への道筋を示している。

競争? まったく期待できない

前述したように、あるグループ(たとえ中小の新聞社であれ)がカルテルを結ぶことが許されれば、競争は抑制される。むしろ、単に両側の陣営が肥大化する結果を生み出すだけである。法案の修正案では、この方式で補償を受けられる組織を従業員数1,500人以下のパブリッシャに限定した。だが、それでも競争は維持できない。地域・独立系のニュースメディアの喪失は、すでに生じているのである。今や多数の中小パブリッシャが、大企業やベンチャーキャピタルに所有・支配されている。そして、業界は急速に統合に向かっている。

このような大企業やファンドは、FacebookやGoogleによるデジタル広告の支配によって生じた混乱に乗じて、オンライン・ジャーナリズムの支配体制を作り出した。このような状況にあっては、JCPAを可決したところで、大企業やファンドは弱体化したニュースルームを買収し、人員を解雇し、クリックベイト・サイトに転向させ(訳注:釣り記事を乱発させ)て、FacebookやGoogleから報酬を得られるようにするだけだろう。なんと嘆かわしいことか。

維持? それも期待できない

ウェブに一般公開されているページへのリンクを誰が張ってよいかを制限することも、同様に不可能である。これはつまり、リンクにある種の財産権、つまり情報の共有の仕方に所有権を与えることを意味する。外部の情報ソースにリンクすることで成り立つインターネットにとって、これは致命的だ。少なくとも、現行法ではリンクは著作権侵害ではない。だがJCPAは、リンクを保護する新たな準著作権をを生み出したり、あるいは裁判所が著作権法を拡張し、ある種のリンクに適用するよう仕向けるリスクすら孕んでいる。

たとえFacebookとGoogleだけに適用されるのだとしても、JCPAはリンク税として機能することになる。リンク税はオーストラリアやEUなどで導入されるたびに失敗を繰り返してきた。また、そうした米国外の事例では、当然ながら憲法修正第1条が考慮されることもなかった。JCPAは、企業が補償金の支払いを拒否するために特定のコンテンツにリンクしないという判断を禁止しているという。だが、これは企業の表現の自由を侵害している。新聞社がある話題についてありとあらゆる視点を盛り込むよう法律で義務づけられないのと同じで、ニュースアグリゲータや検索ツールが取り上げないことを決めた情報ソースにリンクするよう強制することはできない。

その合憲性が疑われる「強制」規定を削除してしまえば、ニュースアグリゲータや検索エンジンは、支払いを要求する報道機関へのリンクを拒否するだけだろう。結局のところ、信頼できるニュースや情報ソースにユーザがアクセスしにくくなる状況が生まれるだけに終わるのである。

これはGoogleやFacebookだけに影響を及ぼすものではなく、オンラインで記事を共有するすべての人・組織に影響する。小規模なニュースルームのジャーナリストでさえ、他社の報道を参照して、その記事にリンクを張る。これは優れたジャーナリズムの実践だ。それによって読者は情報のソースを確認し、記事の起源をたどれるようになる。リンクはインターネットにおける脚注の役割を果たしているのだ。もし、リンクを張りにくい状況になってしまえば、読者は貴重な情報と文脈の双方を失うことになるだろう。

修正すべきはリンクではなく広告

たしかにGoogleやFacebookなどのビッグテックは、ジャーナリズムに害をなしている。だがそれは記事のリンクを提供しているからではない。むしろ、デジタル広告市場や、その市場のデータを支配しているからこそ、デジタル広告収益の大部分を独占し、パブリッシャや広告主より優位に立っているのだ。

たとえば2015年以降、多くのオンラインメディア企業が「動画へのシフト」を開始した。それまでのニュースルームを解体し、多額の資金を投じてビデオジャーナリズム事業をゼロから構築した。そのきっかけは、Facebookがユーザはテキストよりも動画を好んでいるという指標を明らかにしたことだった。2014年、Facebookは「Facebookは毎日平均10億回以上の動画ビューを記録している」と主張した

だが後に、この指標は60~80%も誇張されていたことが判明した。広告主は印刷物よりも動画を好む。テキスト内の広告はスクロールすれば簡単にスルーできるが、動画内の広告はスルーしにくいためである。その広告主に対して、ユーザはものすごくビデオを見ているんだとFacebookは伝えたのである。そして、Facebookは動画広告のほうが儲かるので、広告を掲載するための大量の動画を欲していた。つまり、Facebookが動画こそが「読者の望んでいるもの」だと主張したことで、ニュースメディアは動画コンテンツの制作にシフトさせられたのである。

実際には、ユーザが動画の方を嗜好していたわけではなかった。ニュースメディアにとって、とりわけFacebookにそそのかされてコストのかさむ動画コンテツに賭けた新興独立メディアにとって、動画へのシフトは壊滅的な結果をもたらしたのである。結局のところ、これはFacebookの広告部門の規模と支配力に起因する問題だった。オンライン広告市場はFacebookとGoogleに支配されているため、パブリッシャはこの2社が報告する指標を信じるしかなかったのである。もし、他の広告ネットワークや、ニュースメディアが採りうる他の有効なビジネスモデルがあれば、Facebookの数字は「動画がうっかり3秒間再生されただけでその動画を『見た』とカウントされた場合」にしかありえない数字だ、と別の指標から分析することもできたはずだ。

デジタル広告における競争と透明性法(またはDAA、デジタル広告法)は、問題を根本から修正しようとしている。同法案は広告市場を4つのコンポーネントに分け、年間200億ドル以上の広告収入を得る企業が同時にその2つ以上を所有することを禁止する。

広告帝国の分割は、より公正な広告市場の実現を約束する。テック企業のコンテンツ/アプリビジネスと広告ビジネスを分離し、さらにアドテクのセル(販売)サイドとバイ(購入)サイドを分離することで、自社優遇や不正入札などの詐欺イカサマを減らし、儲からないようにし、検出しやすくするのである。また、支配的かつ統合的なアドテク企業による価格のつり上げや詐欺から中小企業や広告主を守ることにもつながる。

それこそが我々が必要としている答えである。JPCAではない。

The Journalism Competition and Preservation Act Will Produce Neither Competition Nor Preservation | Electronic Frontier Foundation

Author: Katharine Trendacosta and Mitch Stoltz / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: June 29, 2022
Translation: heatwave_p2p
Material of Header image: The New York Public Library / Markus Spiske