以下の文章は、電子フロンティア財団の「With Great Power Comes Great Responsibility: Platforms Want To Be Utilities, Self-Govern Like Empires」という記事を翻訳したものである。
デタラメを信じろと?
何十年にもわたって誇大広告を見せ続けられてしまうと、企業のミッションステートメントを気に留めることなく見過ごしてしまうのは仕方ないのかもしれない。だが、そうした企業との関係を終わらせるという話になると、テクノロジー大手の掲げるモットーは邪悪さを帯びて見える。
「世界の距離を縮める」(Facebook)、「世界の情報を整理する」(Google)、「顧客がオンラインで買いたい商品が何でも見つかる」(Amazon)、「パーソナル・コンピューティングを一人ひとりが利用できるようにする」(Apple)。テック・ジャイアントの創業時のミッションには、我々のデジタルライフに欠かせない存在になりたいという願望が込められていた。
そして彼らは成功した。我々は家族の写真や家計簿、手紙といった秘密のデータをこれら企業に預けるようになった。医療や死別の支援グループ、リトルリーグや慈善団体のフォーラムなどのコミュニティを彼らに任せるようになった。我々が購入する何兆ドルものメディアを、彼らの継続的な協力なしには再生できないようにする独自フォーマットにロックインすることも許してしまった。
彼らのサービスはうまく機能することもある……が、失敗も少なくない。テック・ジャイアントは、何億、何十億というユーザをサポートするためにサーバを稼働させることはできても、アカウントの停止・凍結に関しては、ユーザ・フレンドリーな手続きを作ることはできないし、作ろうともしない。
だが、テック・ジャイアントのコンテンツ削除やアカウント凍結のポリシーがマズイものであっても、異議申し立てのプロセスに比べれば、まだ模範的な感覚と透明性を備えている。テクノロジー企業の判断に異議を申し立てようとすると、自動送信メール(返信すらないことも)、存在しないかすでに何度も提出している書類の要求、説明も異議申し立てもない高圧的で素っ気ない「最終判断」など、カフカ的な不条理の迷路に迷い込んでしまう。
楽天家のカフカ
すでにひどい状況にあるが、これにデジタルライフを支配し、日常生活に欠かせない存在になろうとするテック企業の思惑が加わると、さらに状況は悪化する。
クラウドアカウントを喪失すると、何十年分もの家族の写真を失うことになる。メディアアカウントにアクセスできなくなると、数千ドル相当の音楽、映画、オーディオブック、電子書籍にアクセスできなくなる。IoTアカウントを失えば、ドアロックは凍結され、サーモスタット、防犯ブザー、セキュリティカメラが機能しなくなり、家全体が機能しなくなる。
だが、現実はそれ以上に深刻である。たった1つのサービスから追い出されただけで、複数の被害を被ることになるのだ。Amazon、Google、Appleのアカウントを失えば、ホームオートメーションやセキュリティ、モバイル機器、購入した電子書籍・オーディオブック、映画・音楽、そして写真へのアクセスが絶たれることになる。AppleやGoogleのアカウントを失えば、亡くなった友人が最期に送ったメールや、税務処理に必要な業務取引の添付ファイルなど、過去数十年分の個人的な通信内容を失うことになる。つまり、これらのサービスはあなたのバックアップ―つまりオフサイト(外部)クラウドや中央レポジトリとして設計されているのである。ほとんどの人は、デバイスから大企業のサーバにシームレスに転送されるすべてのデータのローカルコピーを作成すべきであることを理解していないし、その方法も知らない。
言い換えれば、テック企業は、私たちがオンライン生活のあらゆる面で彼らに依存するようになることを目指し、それに成功したのである。しかし、いざあなたをプラットフォームから追い出そうとすると、追い出されたあなたの人生が台なしになることなどお構いなしに、ラストオーダー時のバーの常連客のように扱うのである。
ユーチューバーからの警告
これは長らく問題となってきたことだ。ユーチューバーを始めとするクリエイターたちは、生活の糧であるアカウントが、警告もなく、異議申し立ても認められずに非収益化・削除・凍結されるシステムに長いこと苦しんできた。だが現在、我々も彼らのように、たった1度のモデレーションの間違いで、人生が逆さまになる状況に置かれている。
テック・ジャイアントによる我々のデジタルライフの支配は、まだ始まったばかりだ。テック企業は、我々の健康を管理し、薬を調合し、選挙の日に投票を促し、政治討論を放映し、子どもたちに教育しようとする。AmazonはAmazonファーマシーが好調なだけでは飽き足らず、既存事業を活用して街の薬局市場を窒息させ、最大手の薬局になろうとしている(あるいはUberのIPOでは、世界中の公共交通機関やタクシーをライドシェアに置き換える計画が目論まれていた)。
もしテック企業が株主への約束を果たすなら、アカウントのロックアウトは、薬の購入から通勤まで、生活に不可欠なサービスのすべてから締め出されることを意味するようになるだろう。
さて どうしてこんなことに?
活気あふれる電子フロンティアが、いったいどうして「5つのウェブサイト――それぞれが残り4つのウェブサイトのテキストのスクショで構成されている」というモノカルチャーになってしまったのか。
それは偶然ではない。技術、著作権、契約、競争政策がこのような結果を招いたのだ。また、オンラインビジネスは世界を支配する規模にまで成長しなければ投資する価値がないと判断してきたVCや起業家たちも同罪だ。
たとえば、デジタルミレニアム著作権法1201条のような法律は、たとえ適法な目的であっても、DRMを改ざんしたり削除することを広く禁止している。1998年にDMCAが制定された際、議会は著作権侵害でない場合にもDRMを保護してしまえば、テクノロジーユーザは企業のなすがままになってしまうと警告していた。教科書やピアノの練習用の楽譜を購入したとしても、それにはDRMがついている。購入元の会社があなたを切り捨てたとしても、DMCAはそのDRMを解除することを禁止しているのだ(そしてあなたは、メディアにサヨナラを告げなくてはならない)。
企業は直ちにこの危険な法律を悪用した。つまり、企業が許可したデバイスでしか再生できないメディアを販売したのだ。そうれば、ユーザを自社プラットフォームに囲い込める。メディアを持ち出せなければ、ライバル会社に浮気されることもない、というわけだ。
DRMフォーマットが普及しても、DRMに依存する企業は、あなたを自社プラットフォームから追い出すことを、街角の店が別の店で雑誌を買えと言うのと変わらないという態度をとってきた。実際には、街角の超巨大な企業帝国があなたの家にチンピラを送り込み、問答無用で新聞、雑誌、書籍を持ち去っていくようなものなのだが。
大企業がDMCAとDRMを悪用してユーザの購入をどれだけ幅広く支配しているかは容易に想像がつくが、他の法律も同様の影響をもたらしている。コンピューター詐欺・不正利用防止法(CFAA)も広すぎる法律で、その起草があまりにもひどかったために、テック企業は何十年にもわたって、規約違反は犯罪にあたると強弁することができた。最高裁がこれを覆す判断を示したのは、今年の夏である。
テック系の弁護士と、彼らを雇う企業は当初から、我々のデジタル活動はほとんどの場合で、所有権ではなく、契約上の取り決めに拘束されるよう仕向けてきた。こうした契約は通常、一方的な利用規約の押し付けによる大量契約という形を取る。そうしたエンドユーザライセンス契約では、デュープロセスを踏むことなく企業が簡単にアカウントを抹消できるようになっており、データやデバイスの使用権を失った場合の強力な救済策も用意していない。
CFAAやDMCA、その他の簡単に抹消できるルールや、ユーザや競合他社が既存技術を再構成することを制限するルールによって、企業の株主の機嫌を損ねるようなことをすると、文字通り「ビジネスモデル不服従罪」(日本語訳記事)として犯罪とされてしまう世界が生み出されてしまった。
もし、より良い条件で買い物ができるような中小規模の企業が数多く存在していれば、このような陰湿な商習慣はそれほど問題にはならなかっただろう。
残念ながら、現代のテック産業が生まれたのは、米国の独占禁止法が文字通り解体されようとしている時期だった。ロナルド・レーガンが選挙戦を戦った年に、Apple ][+が店頭に並んだ。レーガンが大統領に就任すると、以降40年にわたって続く超党派の反トラスト法の無力化プロジェクトが始まった。そうして、既存企業が小規模の企業を驚異になる前に買収して潰すことを許し、巨大企業が直接の競合企業と合併することを許可し、企業がサプライチェーン全体を支配する「垂直独占」の確立を黙認した。
暴走した買収列車は、ブレーキを踏むことなくスピードを上げていった。今日のテック企業は、あなたが食料品を買うよりも高頻度に企業を買収し、テック産業全体を革新的なアイデアが死滅する「キルゾーン」に変えてしまった。
ある朝目覚めたらAmazonのアカウントが無くなっていて、何の説明もないというのはどういうことなのか。小規模ビジネスを運営するサーバ、10年分の家族の写真、電子書籍リーダーや携帯電話の使用、電子書籍、映画、オーディオブックの全ライブラリへのアクセスが失われる可能性があるのはなぜなのだろうか。
答えは簡単だ。
Amazonがあなたの生活に幅広く関わっているのは、小さな競合企業を無数に買収し、垂直独占し、メディアをDRMで縛ることが許されていたためだ。そして、はっきりしない不正行為が疑われる顧客を公正で適切に扱う義務を負うこともなかった。
Amazonに限らず、消費者を自社製品に依存させようとする周到な戦略から、アカウント凍結やコンテンツ削除を管理する無責任で不透明な企業の「正義」システムに至るまで、すべてのテック・ジャイアントで同様の出来事が起こっている。
テック企業を修正せよ
企業はもっと良くなるべきだ。モデレーションの決定は透明で、ルールに基づき、基本的なデュープロセスの原則に従わなければならない。これらすべて、そしてそれ以上のことが産業界、学術界、人権活動家からなる国際的な専門家グループによって「サンタクララ原則」という特別な文書のなかで詳細に説明されている。テック企業のコンテンツ・モデレーションは、この原則に従うべきだ。なぜなら、企業が独自にハウスルールを設定する自由があるとしても、一般のユーザには、そのルールが不適切であると訴え、より良いルールを提案する権利があるからだ。
もし企業がユーザをプラットフォームから追い出したとしても、あるいはユーザ自身が退会を決めたとしても、プラットフォームがユーザのデータを囲い続ける(あるいは削除する)ことは許されないはずだ。それはユーザのデータであり、彼らのデータではない。「善管注意義務(Fiduciary Duty)」は、顧客に対して「誠実に行動する」義務であり、すでに概念として確立している。もしあなたが弁護士を解雇したら(あるいはクライントとしてあなたを解雇したら)、弁護士はあなたにあなたのファイルを返さなければならない。また、医師やメンタルヘルスの専門家も同様だ。
多数の法学者が、あなたのデータを保有する企業に同様の義務を課す「情報受託者(information fiduciary)」規則の制定を提案している。これにより、「忠実義務(duty of loyalty)」(企業の利益に関わらず顧客の利益のために行動すること)と「注意義務(duty of care)」(その状況下で合理的な顧客が期待するように行動すること)が課せられることになる。
これは、我々を悩ませているオンラインのプライバシー侵害の解決に大いに役立つのみならず、サービスから離脱する際に、その離脱が自らの判断かどうかに関わらず、自分のデータを持ち出す権利を保証する。
企業に責任を負わせる方法は善管注意義務だけではない。消費者保護のための直接的な法律(たとえば、サービス終了後もコンテンツを利用し続けられるように迅速に対応することを企業に義務づけるなど)も考えられる(もちろん、他のアプローチもある)。こうした規則がどのように適用されるかは、企業がホストするコンテンツや企業規模によって異なるべきで、巨大企業に期待される基準を小規模な企業に満たすよう求めてはならないのだろう。だが、すべてのオンラインサービスは、顧客に対して何かしらの義務を負っているはずだ。あなたをサーバから追い出し、あなたの結婚式の写真を人質にとっている会社がわずか2人で運営されていたとしても、あなたは写真を返してくれ!と思うだろう。
インターネットを修正せよ
企業の振る舞いを変えることは、常に称賛に値する目標である。だが、我々の生活に欠かせなくなるくらいに絡みついてくる巨大企業の真の問題は、その企業が信じられないような力を無分別に行使することではない。そもそも、企業がそのような力を持っていることが問題なのだ。
インターネットユーザに力を与えるためには、巨大インターネット企業から力を奪わなくてはならない。FTCは新たな体制のもと、何十年にもわたって続いてきた反競争的な合併・買収を終わらせると約束する。だが、それは第一歩に過ぎない。競争学者や活動家は、巨大企業を解体し、文字通りダウンサイズせよという難しいタスクを求めている。
だが、それだけではない。米国で検討されているACCESS法は、プライバシーを尊重するライバル企業との相互運用性を大手企業に義務づけ、ユーザデータの悪用を禁止する画期的な法律である。ACCESS法が成立すれば、巨大プラットフォームの運営方針が気に入らなくてもそこに縛り付けられてきたスイッチングコストを劇的に低減できる。また、ユーザが自発的に退会する場合でも、アカウントが凍結された場合でも、ユーザが自分のデータを簡単に持ち出すためのツールを開発する人々も保護される。
そうして、インターネットにあらゆる規模の企業、協同組合、非営利団体によって構成されるエコシステムを取り戻すことができるのである。そのようなエコシステムでは、あらゆる組織があなたのデータを受け取り、あなたにオンラインの拠点を提供し、そこから友人、コミュニティ、顧客がインディーウェブにいようと、ビッグテックのサイロの中にいようと、コミュニケーションできるのである。
しかしそれだけでは十分ではない。利用規約やDRMなどの技術や法律によって、第三者があなたのスマートフォンにソフトウェアを提供したり、購入したメディアを再生したり、購入したゲームの実行を妨げることができるという事実は、大企業があなたのデジタルライフにあまりにも大きな影響力を持っていることを意味する。
だからこそ、我々は相互運用の権利――競争的な互換性(メーカーの許可の有無に関わらず、新たな製品やサービスを既存の製品に接続する権利|日本語翻訳記事)、DRMの回避(我々はそのための訴訟を進めている!)、修理する権利(この戦いに勝利しつつある!)濫用的な利用規約の禁止(最高裁は正しい判断を示した)など――を回復しなければならないのである。
デジタルライツは人権である
我々がこの活動に参加した30年前、この活動を理解している人たちはほとんどいなかった。批判者たちは「デジタルライツ」という考えそのものを嘲笑った。まるでスタートレックフォーラムのオタク論争を、自己決定権と正義をめぐる歴史上の偉大な闘争になぞらえているようだ、と。10年前ですら、デジタルライツの考え方は、嘲りと懐疑の目で見られていた。
しかし、我々は「デジタルライツ」のために戦っているのではない。人権を守るためにここにいるのだ。確かに1990年代には「現実世界」と「仮想世界」の融合が議論されていたのかもしれない。だが現在、そしてロックダウン後の世界はそうではない。インターネットは地球の神経系となり、我々の言論の自由、報道の自由、集会の自由、恋愛、家族、子育て、信仰、教育、雇用、市民活動、政治活動は1本のワイヤーに頼っているのだ。
今日、我々が行うすべてのことにインターネットが関係している。明日には、すべてのことがインターネットを必要とするだろう。我々のデジタル・シチズンシップを、読めやしない利用規約や、破綻した異議申し立てプロセスのようなひどいやり方で台なしにさせてはならない。
我々は、より良いデジタル・フューチャーを手に入れる権利がある。独占を渇望する者やその利害関係者の野心よりも、公正性や公平性、あなたの自己決定権が優先される未来を。
Publication Date: August 03, 2021
Translation: heatwave_p2p