日米デジタル貿易協定今日にも国会で承認されそうな雲行きだ。

この協定は、極めて危険というわけではなさそうだが、さりとて国内プラットフォームが「世界を舞台に成長していく大きなチャンスになる」かのように謳う首相答弁には失笑を禁じえない。

協定では、デジタル関税の禁止、相手国のデジタルプロダクトへの差別的待遇の禁止、日米間のデータ移転の制限の禁止、相手国企業へのサーバ等設置強制の禁止、ソフトウェアコードやアルゴリズム開示義務づけの禁止、暗号法の開示強制の禁止、デジタルプラットフォームに対するセーフハーバーの確立などが定められている。

手短に要約すれば、日本国内で活動する米国大手テクノロジー企業に対するデジタル関税/非関税障壁のリスクを低減する経済的な側面と、米テック企業の持つ情報を相手国に握らせないようにする(主に中国を念頭に置いた)安全保障的な側面を併せ持った協定ということになる。

前者に関しては(数年前の)米国のスタンダードを日本に輸入するというもので、主に日本側に制約を課す格好となっている。制約と言っても米国のデジタル自由主義を受け入れろという内容なので基本的には開放路線をとることになるのだが、米国に対して鎖国をしていたわけでもないので何かが大きく変わるというわけでもなさそうだ。

ただこれから変えようとしていること、つまりは米巨大テック企業への不正競争防止法の観点からの規制やデジタル課税はかなり慎重に行わなくてはならなくなる。GAFA対抗だとか言われているヤフー×LINEにばかり有利に働く(ように見える)規制はご法度になるのだが、私個人としては市場優位性を悪用した競争の阻害が是正されるのであれば歓迎したいところである。

いずれにしてもこの協定は国内デジタルプラットフォーマーにとってゲームチェンジャーとなるものではなく、米国企業にとっての現状維持を目指すものである。そう考えれば、米大手プラットフォームへの規制がしづらくなる分、単に対抗が難しくなるだけではないかとも思える。米国がデジタル分野で日本企業に脅威を抱いて非関税障壁を設けているなら話は別だが、現時点では歯牙にもかけてはいないだろう。首相は「米国側の一方的な要求」を飲んだわけではないと答弁しているが、米国に有利になっても、日本が得るものがないことを考えれば、市場を差し出したと言われても仕方がない。

もちろん、答弁では「今回の協定は、デジタルデータなどについて国際的な新しい経済秩序づくりをリードするもの」とも言われていて、好意的に解釈すれば「新たなデジタル経済のスタンダードを先取りすることで先行者利益を獲得するのだ」ということなのかもしれない。だが、さんざん先行者利益を食い荒した米国のルールを受け入れるわけで、すでに開拓が進んだ市場に先行者利益などありはしない。同じスタンダードを受け入れるかもしれない新興国に目を向けたところで、米テックジャイアントと真正面から殴り合わなければならず、現行のルールのまま日本のプラットフォームが食い込めるとは考えづらい。

さらに米中関係が安全保障・デジタル領域を巡って、米仏(EU)がデジタル課税を巡って対立を深めつつあるなか、米国に有利なルールが世界のスタンダードになると考えるのもあまりに楽観的すぎる。

首相が官僚の説明を真に受けて「大きなチャンス」だと考えているのであれば日本政府のデジタル戦略はお先真っ暗だし、失点を覆い隠すために「Win-Win」を強調しているのであれば極めて不誠実と言わざるを得ない1

日米デジタル貿易協定で何が変わるのか

貿易協定としては“米国の言いなり”としか言いようがないのだが、具体的にどのような条項が盛り込まれているのかを見ていこう。

第6条 租税、第7条 関税、第8条 デジタル・プロダクトの無差別待遇

端的に言えば、デジタル・プロダクトに関税をかけてはいけない(7条)ということと、相手国のデジタル・プロダクトを差別的に扱ってはならない(8条)、非関税障壁として課税措置を用いてはならない(6条)といったところだろうか。

米国大手テック企業が事業を行う国に税金をほとんど支払わない問題をめぐって、いわゆる「デジタル課税」の議論が世界的に活発化しているが、こうした議論を国内で行うにあたって大きな制約を受けることになるだろう。

今夏には業を煮やしたフランスがデジタルサービス税を導入し、米国とも一定の合意を交わしたとも言われていたが、結局は決裂してしまったようで、米国は米企業に対する不当な課税であるとして仏に大規模な追加関税をかけると脅しにかかっている。

規模の大きいデジタル事業者に課税すれば、市場を支配する米国企業のみ狙い撃ちしたように見えるのだが、それでも米国は自国企業を守るための「差別的待遇だ」と強弁することは疑いない。このあたりの交渉を胆力を持って臨むことを日本政府に望めるはずもなく、状況的にはデジタル課税は諦めたということになるのだろう。

第9条 国内の電子的な取引の枠組み、第10条 電子認証及び電子署名

基本的には、電子取引を促進しよう(9条)というもので、そのために電子認証・電子署名を特段の理由もなく拒否したり、禁止することは許されない(10条)としている。これは悪くないが、その環境整備に道筋をつける必要は出てくる。結構大変そう。

第11条 情報の電子的手段による国境を超える移転、第15条 個人情報の保護

これは日米間の越境デジタルデータ移転を認める条項で、個人情報の移転も含まれる。規制を行うにしても、米国企業を狙い撃ちにしたり、偽装的な非関税障壁であってはならず、「公共政策の正当な目的を達成するために必要な」最低限度の制限でなくてはならない(11条)。

個人情報を含むとなれば、当然プライバシーに関わる問題も生じるのだが、15条の「個人情報の保護」は非常に控えめで、法律や自主的な取組を採用・維持し、個人情報の保護のために「(a) 自然人が救済を得ることができる方法、(b)企業が法的な要件を満たすことができる方法」について明示することが求められているのみである。

少なくとも日本政府としては、米国の個人情報・個人データ・プライバシー保護が十分だと判断したということになるのだろうが、果たしてそれで良いのだろうか。

第13条 コンピュータ関連設備の設置

相手国事業者に対し、自国領域内にコンピュータ関連施設(サーバ)の設置を義務づけてはならない、というもの(ただし、金融サービスは例外として第13条で定める)。おそらく中国を意識したもので安全保障的な側面が強い。日米の同盟関係を考えれば、大きな問題はなさそう。

第14条 オンラインの消費者の保護、第16条 要求されていない商業上の電子メッセージ

詐欺的・欺瞞的なオンライン上の商業活動2から消費者を保護する措置を講じ、そうした商業活動を禁じる法律を制定・維持すること(14条)と、迷惑メール防止のための措置を講じること(16条)。後者には、「(事業者に対し迷惑メールの)受信の防止を円滑に行うことができるようにすることを要求する措置」も含まれる。ちょっときな臭い。

第17条 ソース・コード

相手国企業に対し、国内での輸入・流通・販売・使用の条件として、ソースコードやアルゴリズムの移転、またはそれらへのアクセスを要求してはならない、という条項。技術移転の強要や企業秘密の開示を防ぐ狙いがあるのだろうが、捜査機関や司法当局からの要請は例外としている。

第18条 コンピュータを利用した双方向サービス

デジタルプラットフォームに対する免責規定、いわゆるセーフハーバーを定めることを求める条項。米国では通信品位法230条(と著作権侵害に関してはDMCA)で定められている規定で、要するに利用者が勝手にやった違法行為/著作権侵害について、プラットフォームが責任を負うことはない、というもの。

一見すると無責任に思えるかもしれないが、プラットフォームが利用者と同様に責任を負うとなれば、責任を回避するために過剰に投稿を削除することになり、表現の自由が大幅に損なわれかねないのである。

実際、GoogleやFacebook、Twitterのようなユーザの投稿を受け付けるプラットフォームが成長できたのも、こうしたセーフハーバーがあったからこそで、利用者が違法な投稿をするたびに同じ責任を負わされていたのでは、おそらく今のように気軽に情報を発信できる世界にはなっていなかっただろう(GAFAに代表されるテック企業の肥大化が問題視されてもいるが、概ね反トラストの問題であってセーフハーバーの問題ではない)。

日本にもプロバイダ責任制限法という、通信品位法230条やDMCAに対応する法律はあるが、米国法ほどセーフハーバーの範囲ははっきりしておらず、少なくとも米国法よりは狭い。この協定を承認するにあたっては、現行のプロ責法で足りるのか、それともセーフハーバーを拡大ないし明確化する法改正をしなくてはならないのか、という点は十分に説明があって然るべきなのだが、その辺りは実に曖昧だ。

私個人としてはセーフハーバーの明確化は歓迎したいが、一方で、古くは著作権侵害、ここ数年では外国からの情報工作や差別の煽動などにプラットフォームが利用されていることから、プラットフォームはセーフハーバーにあぐらをかいて規模に見合った責任を果たしていないとか、セーフハーバーを悪用して金儲けしているといった批判が世界的に高まってきている。

EUが今年3月に採択した著作権指令で、CGMプラットフォームに可能な限り権利者とライセンス契約を交わすか、厳格なアップロードフィルター(著作権侵害となる投稿を未然に防ぐ/既知の侵害コンテンツのアップロードを防ぐフィルタ)の導入するかを義務づけたのも、まさにこのセーフハーバーを狭めるためだった。ドイツでも2018年に、ヘイトスピーチをはじめとする違法な投稿を24時間以内または1週間以内に削除することをプラットフォームに義務づけるNetzDGを導入し、フランスもそれに追随している

また、米国でさえセーフハーバーのあり方を見直すような動きが活発化している。たとえば2018年4月にトランプ大統領が署名したFOSTA-SESTA(オンライン人身売買禁止法)3も、プラットフォームのセーフハーバーを剥ぎ取るものであった(なお、この協定ではFOSTA-SESTAを「公衆の道徳のために必要な措置のための例外」と認めている)。

さらに米下院司法委員会も、現時点ではDMCA方式のセーフハーバーを貿易協定に盛り込むべきでないとの懸念を米国通商代表部に通告している。セーフハーバーがプラットフォームに悪用されていると考えるコンテンツ業界の意向に沿ったもので、実際、オーストラリアでは権利者側からの抗議を受けて、米国式の著作権セーフハーバーの導入が見送られている

他にも、米国内ではディープフェイクを規制しようだとか、政治的に偏向した(と見なした)モデレーションを規制しようといった動機から、230条のセーフハーバーを狭めようとする動きも見られている。

セーフハーバーを巡っては、米国でも見直し論が叫ばれ、EUでは露骨に敵視されているし、強権国家では政府に従う限りにおいては保護されるという状況にある。この協定によって日本にセーフハーバーが確立されるというのであれば実に喜ばしいのだが、協定そのものが米国追従であることを考えると、セーフハーバーの縮小も米国の後追いで進めるのではないかという不安もないではない(ただし、この協定やUSMCAが発効すれば、米国でもセーフハーバーの見直しは難しくはなるとの見方もある)。

第19条 サイバーセキュリティ

デジタル貿易の脅威に対してサイバーセキュリティを強化しようという努力規定。ISPによるマルウェア対策としてのDNSフィルタリングの体制を整えろ、というほどの強い内容ではないものの、すごくざっくりしているので立法上どう解釈されるかはわからない。

第20条 政府の公開されたデータ

政府情報のオープンデータ化を進めましょう、なるべくマシンリーダブルにしましょうという努力規定。大して期待はできないけど、進んでもらわなくては困る。

第21条 暗号法を使用する情報通信技術産品

一見すると、暗号法の移転・開示や、特定の暗号化アルゴリズムの使用強制を禁止する望ましい条項なのだが、しっかり法執行機関による暗号解除要請は例外とされている。FBIの捜査ではすでに行われていることであるため、それを禁止するようなことはしない、ということなのだろう。これも主に中国を念頭に置いた安全保障上の理由から盛り込まれたものと思われる。

第4条 安全保障のための例外

これまで見てきた条項はいずれも、「安全保障上の重大な利益の保護のために必要」な措置には適用されない。消費者的に望ましいものもいくつかあるのだが、この条項によってちゃぶ台返しされたようにも思える。貿易協定だし過度に期待すべきではないのだろうけれども、中国だって安全保障を口実にあんなことやこんなことをしているわけで、政府や議会次第でこの協定の規定なんてどうとでもできてしまうのではないか、という気もする。特にパワーバランスを考えれば、日本が米国に強く物申すことは難しいように思う。

第22条 改正、効力発生及び終了

この協定の発効(および改正の発効)は、日米両国の国内法上の手続きを完了した書面を相互通告してから30日後、または両国が指定した日とする。

日米ともに一方的に協定の終了を通告できるとしているが、紛争解決規定は盛り込まれていない。デジタル貿易分野で日米間の大規模な紛争が起こるとも思えないが、いざそうなったとしても別分野の追加関税で脅されることになるのだろう。

変化のない転換点

貿易協定であることを考えれば他の分野との兼ね合いもあるし、同盟関係に基づく安全保障などの要素も複雑に絡み合っているわけで、この日米デジタル貿易協定1つだけで損得を語ることは難しい。ただ、全体を考える上では、このデジタル貿易協定そのものの評価も必要となる。

1つ1つの項目を見れば悪くないものもいくつかはあるが、協定全体としては米国のデジタル保護主義を丸々受け入れたと言われても仕方のない内容である。「世界を舞台に成長していく大きなチャンスになる」とぼんやりとそれらしいことは言えるけれども、そのための戦略があるわけでもないし、当然ながらそれが協定に反映されているわけでもない。

デジタル分野はもはや米国だけが主導する市場ではなく、欧州、中国、インドを始めとする新興国、米国と対立する強権国家と複数の極がそれぞれに影響力を強めていくことになる。市場全体が大きな転換点を迎えているなかで、米国とともに変化しないことを選択した。それが吉と出るか凶と出るかは、今はまだわからないけども。

 

  1. 厳しい見方をすれば、日米物品貿易協定で農産品の関税撤廃・削減と引き換えに得たのは自動車・部品関税引き下げの“交渉権”という惨憺たる結果なわけで、さらにデジタル貿易協定でも米国の言い分だけを飲まされたとあっては立場がない、というだけのことである。甘い見方をすれば、自動車・部品への追加関税を回避するために必死だったというところだろうか。
  2. 条文の定義によれば、消費者に実害をもたらす/もたらしうる詐欺的・欺瞞的な商業上の行為で、① 誤認を誘い、消費者に損失をもたらす行為、② 代金を支払ったのに、商品・サービスを提供しない行為、③ 決済機関に不当な請求を行ったり、引き落としたりする行為が含まれる。
  3. 同法はオンラインプラットフォームを介して行われる強要売春を防ぐことを目的としていたが、プラットフォームに重い責任を課す法律であったために、セックスに関連するコンテンツのみならず、自由意思で行われるセックスワークやセックスワーカー間のコミュニケーションすらもプラットフォームフォームから排除されることになり、結果として被害者を更に追い詰めるものとなっている。
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