以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「Antiusurpation and the road to disenshittification」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

90年代の若者たちが仲介者の排除を約束するインターネットに胸を躍らせたのも無理はない。文化や政治、そしてあらゆる機会へのアクセスを牛耳っていたゲートキーパーたちは、とにかく腐敗しきっていたし、最悪の連中だった。

確かに一時期、我々は仲介者のいない世界を実現した。その結果、様々な声、アイデア、アイデンティティ、趣味、ビジネス、そして社会運動のための、大きく、奇妙で、多様な空間が生まれた。中にはおぞましいものや、ただの馬鹿げたもの、あるいはその両方だったものもあったが、あの古き良きインターネットには本当にクールなものがあふれていた。

だが、その至福の時はほんの一瞬で終わってしまった。代わりに現れた新たなゲートキーパーたちは、旧来の連中と同じかそれ以上に悪辣で、さらに強大な権力を手にした。インターネットはトム・イーストマンの言葉を借りれば「他の4つのサイトのスクリーンショットで埋め尽くされた5つの巨大サイト」と化した。文化、政治、金融、ニュース、そして何より権力そのものが、無責任で、強欲で、時として残虐な仲介者たちの手の中に収められていった。

ああ、そうだ。選挙があった。

とはいえ、この文章は選挙についてのものではない。選挙については山ほど考えることがあるが、いまはまだ怒りと恐れと悲しみが混ざり合った、形の定まらない塊としてある。経験上、こういう状況を乗り越えるには、しばらく時間を置くしかない。毒素が抜け落ちるまで待って、安全に扱えるようになってから、次にすべきことを考えればいい。

その間、私は淡々と仕事を進める。日々の務めをこなすだけだ。Farar, Straus, GirouのMCD Booksから出版予定の『Enshittification』という本の執筆も、もう大詰めを迎えている。

https://twitter.com/search?q=from%3Adoctorow+%23dailywords&src=typed_query&f=live

不安を押し込め、そのエネルギーを生産的な仕事に変えるのは、必ずしも健全な対処法とは言えないかもしれない。が、最悪の方法というわけでもない。実際、このやり方でコロナ禍のロックダウン中に9冊の本を書き上げた。

物事を真正面から見つめるのをやめると、かえって全体像が見えてくることがある。トンネルビジョンから解放されて、その物事の輪郭や亀裂、弱点が見えてくるのだ。

だから私は本を書き続けている。これはプラットフォームについての本だ。(Enshittification)という現象は、プラットフォーム上で最も顕著に、そして最も有害な形で現れる。プラットフォームとは仲介者のことだ。買い手と売り手、クリエイターとオーディエンス、労働者と雇用主、政治家と投票者、活動家と群衆、そして家族やコミュニティ、恋人同士をつなぐ存在である。

我々がこうした仲介者を何度も生み出し続けるのには理由がある。彼らは便利な存在だからだ。確かに、作家が自分で編集者、印刷者、流通業者、プロモーター、営業部隊を兼ねることは技術的には可能だ。

https://pluralistic.net/2024/02/19/crad-kilodney-was-an-outlier/#intermediation

だが、そんな世界では、それをやりきれる作家しか生き残れない。私が読みたいと思う何かを書ける作家の数は、自分で出版事業を切り盛りできる作家の数よりもはるかに多いはずだ。

問題は仲介者の存在ではない。強大な力を持つ仲介者の存在が問題なのだ。仲介者が取引の両当事者間の関係を支配できるほどの力を持れば、すべてがメタクソ化する。

https://pluralistic.net/2022/06/12/direct-the-problem-of-middlemen/

競争、規制、相互運用性、そして熱意ある従業員からのプレッシャーに直面するマッチングサービスなら、ユーザの運命の人探しを真剣に手助けするだろう。しかし、競合他社を買収し、従業員を威圧し、規制当局を懐柔し、知的財産法を振りかざして相互運用性を阻むようなマッチングサービスは、ユーザが永遠に料金を払い続け、決して本当の愛を見つけられないようにサービスを作り変えてしまう。

https://www.npr.org/sections/money/2024/02/13/1228749143/the-dating-app-paradox-why-dating-apps-may-be-worse-than-ever

この状況を100万倍に拡大して考えてみよう。我々の複雑なハイテク社会では、自分たちでは管理できない(あるいはすべきでない)技術的な部分を、熟練した仲介者に必然的に依存している。そんな世界が今、我々を搾取し続け、家賃を吊り上げる捕食者たちの思いのままになっている。

https://www.thebignewsletter.com/p/yes-there-are-antitrust-voters-in

食品価格を引き上げ、

https://pluralistic.net/2023/10/04/dont-let-your-meat-loaf/#meaty-beaty-big-and-bouncy

そしてありとあらゆるものの値段を吊り上げていく。

https://pluralistic.net/2023/11/06/attention-rents/#consumer-welfare-queens

(もしかしたら、これは結局のところ選挙についての投稿なのか?)

援助者と寄生者の違いはにある。仲介者の恩恵を享受しながらリスクを避けたいのなら、仲介者の力を抑える政策が必要だ。これは現在の制度とはまったく正反対の考え方である。

相互運用性と知的財産法を例に取ろう。相互運用性(つまり、既存のものに新しいものを接続できること)は、強大な仲介者に対する強力な抑止力となる。ニュース配信の資金源としてアドエクスチェンジに頼るメディアが搾取され始めても、別のアドエクスチェンジに移れる相互運用可能なシステムがあれば、その搾取は終わりを迎える。そもそもアドテクプラットフォームがビジネスを失うことを恐れるようになれば、搾取自体が難しくなる。

https://www.eff.org/deeplinks/2023/05/save-news-we-must-shatter-ad-tech(邦訳記事)

相互運用性があれば、プリンタメーカーがインクの価格を吊り上げても、安価なサードパーティ製のカートリッジを買って、その支配から永遠に逃れることができる。

https://www.eff.org/deeplinks/2020/11/ink-stained-wretches-battle-soul-digital-freedom-taking-place-inside-your-printer

相互運用性があれば、Amazonがオーディオブック作家から1億ドルを搾り取ろうとしても、作家たちは作品をAmazonから引き上げて別の場所で販売でき、リスナーも自分のライブラリを別のアプリに移せる。

https://pluralistic.net/2022/09/07/audible-exclusive/#audiblegate邦訳記事

しかし、相互運用性は40年にわたって後退を続けている。知的財産法の拡大によって通常の活動が犯罪化され、仲介者は知的財産権を盾にエンドユーザやビジネス顧客から身を守れるようになった。

https://locusmag.com/2020/09/cory-doctorow-ip/

だから私は「知的財産」のことを、「企業が自社の壁を超えて、顧客、競合他社、批評家の行動を制御できるようにするあらゆる法律」と呼ぶ。

例えば、私がよく取り上げる1998年の米国法、デジタルミレニアム著作権法(DMCA)の第1201条、いわゆる「迂回防止法」がある。これは著作権保護の技術的制限を回避する行為を重罪とする法律で、たとえその作品の作者本人であろうと例外ではない。

そのため、独占的なオーディオブックプラットフォームAudibleを所有するAmazonは、販売するすべてのオーディオブックに必須の著作権保護を施している。私は作家として、オーディオブックを書き、資金を出し、ナレーションまで担当しているのに、顧客にその保護を解除するツールを提供することすらできない。そんなことをすれば刑事罰の対象となり、初犯でも5年の懲役と50万ドルの罰金を科される。

https://pluralistic.net/2022/07/25/can-you-hear-me-now/#acx-ripoff邦訳記事

つまり、自分の著作物である作品をAmazonのアプリから取り出せるようにすることは重罪であり、その刑罰は単にそのオーディオブックの海賊版をばらまいた場合よりはるかに重い。ドライブインでオーディオブックのCDを万引きした方が、作者や出版社がファイルからAmazonの保護を外すツールを提供するより軽い罰で済む。実際、CDを運ぶトラックをハイジャックしても、おそらくその方が刑期は短い。

これは仲介者が買い手と売り手、クリエイタとオーディエンスの関係を簒奪することを意図的に後押しする法律だ。まさに寄生と略奪の許可証といえる。

しかし、これだけでも十分ひどいのに、DMCA 1201条にはさらに悪質な面がある。それが免除プロセスだ。

先日、著作権局がマクドナルドの気まぐれで当てにならない冷凍カスタードマシンのエラーコードをリバースエンジニアリングしたい企業にDMCA 1201条の免除を認め、「マックフルーリーを解放した」というニュースを目にした人もいるだろう。

https://pluralistic.net/2024/10/28/mcbroken/#my-milkshake-brings-all-the-lawyers-to-the-yard邦訳記事

DMCA 1201条の下では、著作権局は3年ごとにこうした免除の申請を審査している。迂回防止法が正当な活動の妨げになっていると判断すれば、法令に基づいて免除を認める権限が与えられている。

DMCAが1998年に成立した時(そして米国通商代表部がその後の十数年で他の国々にほぼ同じ法律を押しつけた時)、この免除プロセスは迂回防止法の濫用を防ぐ「安全弁」として喧伝された。

しかし、これは巧妙な欺瞞だった。法律の構造上、著作権局は「使用」の免除は認められても、「ツール」の免除は認められない。つまり、Audibleのオーディオブックを他社のアプリに移す権利を得ても、その方法は自力で見つけなければならない。Audibleアプリのマシンコードをダンプし、デコンパイルし、脆弱性を探し、ファイルからAudibleのラッパーを外すための独自のジェイルブレイクプログラムを作り上げる必要があるのだ。

誰も手を貸すことはできない。公に議論することも、作ったツールを誰かと共有することも許されない。そのいずれもが重罪となる可能性がある。

つまりDMCA 1201条は、仲介者にユーザを支配する権力を与える一方で、搾取的な仲介者から逃れるための仲介者の助けを求めることを禁じているのだ。

これは仲介者に関する法律のあるべき姿とは正反対だ。我々に必要なのは、仲介者がサービスを提供する相手に対して過度な権力を振るうことを禁じるルールと、強大な仲介者の優位性を削ぐために他の仲介者に権限を与えるルールだ。

著作権局から迂回防止法の免除を得ても、その権利を代わりに行使してくれる仲介者に委任できなければまったく意味がない

出版の仲介者がいない世界では、出版者としても活動できる作家しか生き残れない。それは、何か伝えたいことを持つ作家たちのほんの一握りに過ぎない。

相互運用性の仲介者がいない世界では、腕利きのリバースエンジニアリングハッカーのプラットフォームユーザしか生き残れない。それは、相互運用性の恩恵を受けられるはずのプラットフォームユーザのごくごくわずかな一部でしかない。

これこそが、プラットフォーム規制案を評価する際の羅針盤となるべきだ。プラットフォーム規制は、仲介者のユーザに対する権力を弱め、他の仲介者に対する権力を強める必要がある。

この観点から見れば、通信品位法第230条(ほとんどの違法な発言について、プラットフォームではなくプラットフォームのユーザに責任を負わせる)の廃止を求める浅はかな主張がなぜ的外れなのかがわかるはずだ。

https://www.techdirt.com/2020/06/23/hello-youve-been-referred-here-because-youre-wrong-about-section-230-communications-decency-act

プラットフォームにすべてのユーザの発言を監視し、法律に触れる可能性のあるものを遮断することを義務づけるなら、最大手の強大なプラットフォームに、より小規模でまともなプラットフォーム(協同組合や趣味人、非営利団体、地方政府、スタートアップが運営する)に対する永続的な優位性を与えることになる。大手プラットフォームには大規模な自動監視・検閲システムを構築する資金力があり、新たに登場できる代替サービスは、我々が必死に逃れようとしているビッグテックプラットフォームと同程度に巨大で強力でなければならなくなる。

https://pluralistic.net/2024/02/22/self-censorship/#hugos邦訳記事

気に入らない政治的意見の検閲を怠ったプラットフォームに破滅的な制裁を加えると脅すファシスト政治家たちが跋扈する今日の政治状況を考えると、これはとりわけ深刻な問題だ。

「政府が行う場合にのみ検閲である」と言う人は大きな誤解をしている。確かに、憲法修正第1条違反となるのは政府による場合だけだが、検閲はいつの時代も仲介者に依存してきた。異端審問からComics Codeまで、政府の検閲者が仕事をこなせたのは、国家による制裁を恐れた強力な仲介者たちが、一線を越える可能性のあるあらゆるものを遮断し、法律が実際に禁じている内容をはるかに超えて検閲を行ったからだ。

我々は強大で腐敗した仲介者たちの世界に生きている。決済から不動産、求職からロマンスまで、援助者のふりをした寄生者の一団が、我々の柔らかな肉に貪欲な牙を突き立てているのだ。

https://www.capitalisnt.com/episodes/visas-hidden-tax-on-americans

しかし、問題は仲介者そのものではない。自分で決済処理業者を立ち上げたり、不動産法の細部を把握したり、シングルバーを開業したりする必要などないはずだ。問題は仲介ではなく、権力の在り方なのだ。

(先週までいくばくかは期待していた米国政府からの後押しが大きく後退していく最中に)新しい、理想的なインターネットを作り上げようとするのなら、この教訓を忘れないでほしい。大切なのは仲介者の排除ではなく、弱い仲介だ、ということを。

Pluralistic: Antiusurpation and the road to disenshittification (07 Nov 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: November 7, 2024
Translation: heatwave_p2p