以下の文章は、電子フロンティア財団の「Have You Tried Turning It Off and On Again: Rethinking Tech Regulation and Creative Labor」という記事を翻訳したものである。
我々は、著作権政策の指針となるべき重要な原則を指示する行動・議論のための「著作権ウィーク」に参加している。今週は連日、さまざまなグループは著作権法や著作権政策のさまざまな課題を取り上げ、何が問題となっているのか、そして著作権がクリエイティビティとイノベーションの促進のためにどのような役割を果たすべきかを取り上げる。
外にいる動物たちは豚から人に目を移し、ついで人から豚へ、再び豚から人へ目を移した。しかしすでにどちらがどちらかを区別することは出来なかった。――ジョージ・オーウェル『動物農場』
インターネットの著作権戦争は30年目を迎え、世界中の戦場で数十億ドル、数兆回のディスプレイの明滅が費やされたにもかからわず、ほとんど進展していない。Napsterの誕生から四半世紀が過ぎた今も、我々は56Kモデム時代から続く間違った二項対立にとらわれている。
- ユーザチーム対クリエイターチーム:クリエイターはユーザである。単に「すべてはリミックスである」というだけの理由ではない。クリエイティブ労働は、それ以前の作品の上に築かれている。「ジャンル」とは、「共通の試金石、規範、前提を共有する作品」を言い換えたものに過ぎない。
- ビッグテック対ビッグコンテンツ:独占的エンターテイメント企業は、その利益の源であるクリエイティブワーカーの断固たる擁護者などではなく(むしろ逆だ!)、大手テクノロジー企業は、レガシーエンターテイメント企業によって抑圧されたアーティストの無私の解放者などでもない(バカも休み休み言え!)。巨大多国籍企業がMPAのメンバーであろうとTechNetのメンバーであろうと、その最優先課題は同じである。つまり、賃金負担を減らし、株主により多くの利益を確保することである。
テック企業やエンタメ企業に特別な美徳や邪悪さがあるわけじゃない。実際、Googleが世界で最も人気の動画サイトを所有し、AmazonとAppleが映画・テレビスタジオを所有し、Microsoftが複数のゲーム制作スタジオを所有し、ビッグ3の音楽レーベルがSpotifyに多額の出資をしている時代にあって、もはや「巨大テック企業」と「巨大エンタメ企業」という区別は意味をなさない。いずれも「巨大企業」なのだ。
そして、その巨大企業は、一つの巨大企業へと集約されていく。ペーパークリップマキシマイザーたる人口生命体こと有限責任会社は、コスト削減の方法を容赦なく、絶え間なく追及し、クリエイティブワーカーを搾取できるとみれば躊躇なくそうする。
過去40年間、世界中の先進国が著作権保護期間の延長を続けてきた。今日、著作権はこれまで以上に長期化し、これまで以上に多数の作品をカバーし、これまで以上に高額な損害賠償額とそれを奪い取るための低いハードルが設定されている。エンターテイメント製品を販売する企業は、かつてないほどに利益を上げ、エンターテイメントセクターはかつてないほどに巨大化している。
一方で、その収益からクリエイティブワーカーに支払われる割合は、この数世代で最も低く、それも減少の一途をたどっている。
著作権の唯一正当な目的はクリエイティビティにインセンティブを与えることだと考えている人でも、この状況は間違っていると思うだろう。誰も、演奏者の印税契約書にサインしたレコード会社の重役を愛しているから音楽を聴くわけではないし、著者の契約書を書いた弁護士の努力に報いたいから本を読むわけでもない。仲介者を豊かにし、クリエイティブワーカーを貧しくする著作権制度など擁護のしようもない。
著作権を強化すると、どうしてクリエイターのお金が減るのか? この問いに答えるためには、エンターテイメントセクター、テックセクターの構造を知らなくてはならない。ウェブは「それぞれがほかの4つのスクリーンショットで埋め尽くされた5つの巨大なウェブサイト」へと劣化した。
エンターテイメント業界も同様で、以下のような構成となっている。
- 5つの巨大出版社
- 4つの巨大映画スタジオ
- 3つの巨大レコード会社(それが3つの巨大音楽出版社を所有)
- 2つの巨大アドテク企業(および2つの巨大アプリ企業)
- 1つの巨大電子書籍・オーディオブック小売業者
これらプラットフォームは、数十億ものユーザを囲い込んで閉じ込めている。クリエイターがオーディエンスにリーチするためには、その巨大ゲートキーパーが突きつける条件に黙って従うしかないのだ。
このような市場環境にあっては、クリエイターに著作権を新たに与えても、いじめられっ子のおこづかいを増やしてあげるようなものである。その子にいくらお金をあげても、いじめっ子は全額ぶん取っていくのだから。たとえいじめっ子がぶん取ったお金の一部を、貧しい子どもたちのことを考えるよう促し、もっとおこづかいを増やしてあげるよう訴えるグローバルキャンペーンの費用に回していたとしても、その事実は変わらない。
クリエイティブワーカーとそのオーディエンスのために機能する著作権システムを構築するには、著作権の枠を超えて考える必要がある。ここでは、著作権をよりよく理解するための、著作権以外の政策をいくつか紹介しよう。
- 構造的分離:プラットフォームがそのユーザと競合しているとしたら、それは片方のチームを所有する審判に他ならない。GoogleやMetaが広告プレースメントの売り手と買い手の両方を代表している場合でも、AppleがApp Storeを所有し、Appleだけがデジタルメディアを有利に販売できるように支払いポリシーが操作されている場合でも同様である。数十年もの間、多くの米国の大手企業は、自社の取引先との競合を禁じられてきた。
- 透明性の権利:クリエイティブワーカーは、自分たちへの支払いがどのように計算されているかをほとんど知ることができず、大企業の不透明かつ一方的なロイヤルティ報告を鵜吞みにさせられている。そうして大企業はクリエイターから数百万ドルをせしめることができている。2019年のEUデジタル単一市場指令には、クリエイターの作品がどのようにマネタイズされ、その支払いがどのように計算されたかを明確に説明することを仲介事業者に義務づける「透明性の権利」が盛り込まれている。この点で米国は後れを取っている。米国でこれにもっとも近いのは、2002年に制定されたサーベンス・オクスリー法の条項で、虚偽の財務諸表に経営者個人の刑事責任を問うというものだ。この条項により、大手レコード会社が夜中にこっそりと記録に残らないCDをプレスし、演奏家や作曲家に補償することなく販売するという慣習に終止符が打たれた。これは手始めではあるが、我々にはもっとできることがあるはずだ。
- 終了の権利:1976年著作権法では、クリエイターは35年後に著作権譲渡を一方的に終了できることになっている。つまり、無名時代に不当な契約を結ばされていたクリエイターは、その契約を取り消し、証明された自分の価値に基づいて新たな契約を要求できるのである。1976年法の当初の草案では、25年後に自動的に終了するということになっていたが、エンターテイメント業界のロビイストがこれに反対し、終了の手続きを悪夢を見るほどに複雑で専門的で官僚的なものにした(新しい自動化ツールでだいぶ簡単にはなったが)。35年後も商業性を維持できる作品はごく一握りではあるが、そうである場合、契約の終了によってクリエイターはその価値の一部を取り戻すことができる。終了手続きを簡素化し、それを発動できるまでの期間を短縮することは、創作者を直接的に豊かにしてくれるだろう。
- 権利データベース:世界中の徴収団体(訳注:JASRACのような著作権管理団体)は、ラジオ局、オンラインサービス、図書館、ライブ会場などとの包括ライセンスから得られた使用料を管理・分配している。各徴収団体(一般に、国ごとに団体は異なる)は、どの著作権がどの事業者に管理されているかという独自のデータベースを持っている。これはコストがかかり、間違いやすシステムで、クリエイターからお金を奪い、重複した、低レベルなITプロジェクトにお金を浪費している。ビヨンセにお金を支払う算段がついていないというのに、どうして知名度の低いアーティストにまともに支払えるというのだろう? この2023年という時代に、我々はきっと、より優れた、共通の、国境を越えた、透明性の高いデータベースを構築できるはずである。アーティストを見つけられずして、彼らにお金を支払うことはできない。
- クリーンな広告市場:アドテク市場は、GoolgeとMetaという2つの巨大な垂直統合企業に支配されている。この2社はオンライン全体の広告販売を寡占し、広告市場を不正に操作する違法な陰謀を始めとする数多くの不正によって膨れ上がっているのである。Facebookの詐欺的な「ビデオへの転換」キャンペーンを吹聴したことで、世界中のメディアが痛い目にあった。だからといって、誰がニュース記事にリンクできるかを決める新たな著作権を創設したところで、ニュース業界が好転することはない(ヒント:ニュースについて話せないなら、それはニュースではなく秘密である)。ビッグテックは新聞のコンテンツを盗んでいるのではない、彼らのお金を盗んでいるのだ。
- 団体交渉:クリエイティブワーカーが組織化すれば、仲介業者に大幅な譲歩を迫り、数十億ドルを企業からクリエイターへと移転させることができるだろう。オンラインクリエイターは、従来のメディア企業やゲーム会社のクリエイティブワーカーとともに、かつてないほどのスピードで労働組合を結成している。だが、労働法はこうした労働組合の承認に時間がかかりすぎるし、オーガナイザーへの報復に対する保護が不十分だし、労働条件に関してはデジタル化以前の時代を前提にして労働組織化に制限を加えている。労働法を近代化することで、クリエイターがよりよい契約と、彼らの著作物が生み出す収益のさらなる分配をもたらしてくれるだろう。
重要なのは、テクノロジー対コンテンツという構図ではなく、企業統合対クリエイティブワーカー・オーディエンスの構図である。この戦いは、強硬な著作権法のもとでは勝利し得ないだろう。労働者の力を高め、企業の力を弱め、企業側からクリエイター側へとお金を移動させることにフォーカスした介入こそが、この戦いを勝利へと導いてくれるだろう。
Have You Tried Turning It Off and On Again: Rethinking Tech Regulation and Creative Labor | Electronic Frontier Foundation
Author: Cory Doctorow / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: January 19, 2023
Translation: heatwave_p2p