『無頓着な人びと』――Facebookはいかにしてメタクソ化していったのか
Facebookの「無頓着さ」について重要なのは、それがトップ幹部たちの数々の深刻な人格的欠陥の結果ではなかったということだ。政策的選択の結果なのである。
Facebookの「無頓着さ」について重要なのは、それがトップ幹部たちの数々の深刻な人格的欠陥の結果ではなかったということだ。政策的選択の結果なのである。
AIの物語とはそういうことだ。労働者の生産性や創造性を高めるという話ではない。これまでに投じられた7000億ドルの設備投資を回収する唯一の方法は、労働者をクビにすることだ。それも、大量に。
AIチャットボットが優れた心理療法士になり得るかどうかは議論の余地がある。これは私の専門外なので、その論争には踏み込まない。だが、それでもなお、AIセラピストを利用する人は頭を診てもらう必要があると思う。
鏡の世界は現実を歪める。だがその歪みの曲率は、ネオリベラリズムの「社会などというものは存在しない」とまったく同じだ。陰謀論も、ネオリベラリズムと同様、世界は構造的な性質によってではなく、個人の美徳と悪意によって動いていると主張する。
年齢確認をめぐる闘いで問われているのは、「子供を守る」という言葉が、インターネットに対する政府のコントロールを特定の道徳的・宗教的判断を強制するための法的口実として埋め込まれてよいのかという問題だ。
Huaweiが我々の通信インフラに盗聴装置やキルスイッチを仕込んでいるのではないかと、誰もが不安に駆られていた頃のことを覚えているだろうか。残忍な独裁者に従属する企業が、ある国の存続に不可欠な構造的基盤を握るようになったら、さぞかし危険なことだろう。
平均的な米国人がすでに中身を絞り出されたぺちゃんこの歯磨き粉チューブだとすれば、AIはそのチューブを縦に切り裂いて最後の残りカスをかき出すためのハサミだ。
経営者は空虚で苛立たしいフレーズを使うことで報われ、組織の人員構成はブルシットを見抜くのが苦手で、仕事上の判断力に欠ける人々に偏っていく。