『無頓着な人びと』――Facebookはいかにしてメタクソ化していったのか
Facebookの「無頓着さ」について重要なのは、それがトップ幹部たちの数々の深刻な人格的欠陥の結果ではなかったということだ。政策的選択の結果なのである。
Facebookの「無頓着さ」について重要なのは、それがトップ幹部たちの数々の深刻な人格的欠陥の結果ではなかったということだ。政策的選択の結果なのである。
「これにはAIを使いました」は、ますます「そもそもこの仕事をやりたくなかったし、品質も気にしていません」という意味になりつつある。つまり、AIに記事を書かせるメディアは――
巡回セールスマン問題には最適解があった。コンピュータに奇妙で危険な近似ルートを算出させ、それがうまくいかなかったら労働者を叱責し、罰金を科せばいいのだ。ルートが最適化されるわけではないが、最適でないルートのコストをすべて労働者に転嫁できる。
詐欺から得る年間70億ドルの収益は、ユーザを詐欺にさらしたことで支払わなければならない罰金を常に上回る。罰金は対価であり、その対価は(詐欺にとって)適正なのだ。
ドアはわずかに開き、風が吹き、ポスト・アメリカのインターネットが目前に迫っている。かつての良きインターネットの技術的自己決定権をすべて備え、一般の友人たちも使えるようにWeb 2.0の使いやすさも兼ね備えた、新しき、良きインターネットだ
インターネットがクソになったのは「歴史の大いなる流れ」のせいでも「ネットワーク効果」「規模の経済」のせいでもない。大メタクソ化は、記憶に新しい時代の、名前のわかる特定の個人の下した、特定の政策判断の結果なのだ。
支配的企業は成長企業ではなくなる。その瞬間、将来の成長に対する投資家の信念が崩れ去り、我先に過大評価された株式を精算しようと「売り」ボタンに殺到する――Amazonは常にそのような脅威と隣り合わせなのだ。